人間はいつも自分が生まれたルーツというものを知りたがるものだ。つまり、どうやって自分が生まれてきたかということである。一体自分の体はどうやってこの世に生まれてきたのか?その時の様子は勿論のこと、どんな時代だったのか、周りの人達はどうやって自分に接してくれたのだろう。そして自分はどんな子だったのだろう。というようなことが頭の中を駆け巡る。

 50年位前『ブリキの太鼓』という映画が公開された。それは最初真っ黒なスクリーンから始まる。画面は真っ黒なだけである。すると一瞬で眩い世界が現れる。そこは分娩室。一人の赤ちゃんがこの世に生を受けるシーンである、全ての人間はきっとこのようなシーンを生まれた時は見るはずである。暗黒の世界から突然何か分からない世界に放り出されるのだ。そこに驚きや不思議などが混ざり合って、複雑な感情を持ち合わせて生まれてくる。

 私は赤ちゃんを取り上げるのが仕事。無事に生まれるようにと祈る気持ちで毎日を過ごしていた。今までに取り上げた赤ちゃんは1万人以上。その人間のスタートラインに一緒に立っているのである。実際その赤ちゃん達がまず出て来る時見つめるのは私の顔。お母さんよりお父さんより早く私の顔を見ることになる。それが幸せなことか不幸なことか分からないが事実なのだ。

 お父さん達はその様子を必死で収めようとカメラやビデオ、最近はスマホを構える。まさに生まれてきたばかりのシーンを残しておこうと思うからである。そしてそのシーンが毎年誕生会の時に何回も映し出される。やはり生まれるということはその人にとって一生で一番の出来事なのだ。

 産婦人科医になって48年。開業して38年。そういうシーンをいつも見ることが出来た私は幸せ者だと思う。本当に大変な仕事だったが、やりがいのある仕事だった。閉院することでこの仕事を辞めることはとても淋しい。今からもたくさんの元気な赤ちゃんが生まれますようにと祈っている。そして全ての人に感謝を捧げると幸せな生活が送られるようにエールを送りたい。