タクシーに乗ると、運賃メーターの横の所に運転手の名前を顔写真が貼りだしてある。運転手の身分を証明する為である。それを取り外そうという動きがある。それは乗客の中に難癖をつける人が増えてきて、ちょっとでも気に入らないと降車した後にタクシーを蹴飛ばしたり、そのタクシー会社に名指しでクレームを入れたりすることがあるという。そういうことを避ける為に名前の提示を止めるというのだ。
確かにテレビを見ていると、酔っぱらった客に絡まれたり無賃乗車をしようとしたりする客が映像で流れる。見ていると運転手を人間と思っていないような輩である。それは今までの日本人のイメージからは想像出来ない位残念なことである。
子ども達が通う学校でも同じようなことが起こっている。学校に居る時には名札をつけているが、帰る時は裏返しにして帰宅する。それは登下校時に名前が分かるので、ストーカー行為を受けたりする可能性があるからである。不審者の情報は常にスマホなどで家庭に送られてきて、未然に防ごうという流れではあるが、やはり名前が分かることで事件も多くなるという危惧はある。
買物をして会計を済ませるとレシートをくれる。これに名前が載っていることがある。全国チェーンの店では必ず担当者の番号が打ってある。しかし小規模な店では名前が入っている所が多い。領収書などを貰う時は、わざわざその担当者の印鑑を押してくれることさえある。でも買物をしてその店員に片思いをしてストーカーされるかもしれない。幸いなことにそんなことを考えながらレシートを貰う人は殆ど居ないだろう。
道の駅に行くと色々な野菜、果物などを売っている。それを手に取ると誰が作ったのか分かるように生産者の名前のシールが貼ってある。それは一生懸命作って手は抜いていませんよという証だ。名前が入っていると買う方も安心だ。だからよく売れる。医療スタッフは原則的に名札をつけている。その他にも銀行員、デパート、スーパー、居酒屋、ホテルなど殆ど全ての職種に渡ってである。そしてそれが当たり前になっている。それには誰も疑問を持たない。
相手の名前が分かる方が良いのか、それとも知られない方が良いのか。いつも悶々とした気持ちで名札を見つめる。こんな不確かな時代だから、余計にそう思うのかもしれない。こんな私は異常なのだろうか?