家内が近くの店でお弁当を買ってきてくれた。鯖を焼いたのが入っている鯖弁当である。中々美味しそうだ。プラスチックの蓋を取ると、脂ののった鯖がどんと乗っている。まずはこの美味しそうな鯖からと箸を伸ばした。口の中に入れると本当に脂がのっている鯖だ。さすが美味しい店だというだけあって、材料に妥協していない。美味い、美味いと呟きながら口に入れた時だ。何か硬いものが舌に当たった。何だろうと思いそれを口の中から取り出すと骨だった。
何年か前、無造作に鯖を口に入れ飲み込んだ時、骨が喉に刺さった。それが中々取れず大変な思いをしたことがある。だから一応注意をしたはずだったのだが、すっかりそれを忘れていた。というのも最近は骨なしの魚が売っていて、それを買って食べていたので骨のことなど忘れていたのだ。
先日孫達も夕食に焼き魚が出たが一口食べて「食べたくない」と言う。それは給食などでは骨なし魚が使われているので、骨が入っているのが気に入らないみたいだ。生協の注文パンフレットなどを見ると『骨取り塩さばフィーレ』2切れで355円、『骨取りさばのみぞれ煮』2切れ入り3袋で594円などが載っていて、骨の心配をしなくても食べられるようになっている。
骨がなければ骨を取る手間がなくなるので食べやすい。最近の子どもには骨がない魚が当たり前になっているのだ。しかも我々大人もそれに慣らされている傾向があるのだ。その弁当の鯖の身を少しずつほぐしながら食べた。よく見ると小さな骨ではあるが何本も見つけた。それはまるで地雷を撤去するような作業に思えた。
また先日近くの公園に遊びに行った。その真ん中に水飲み場がある。そこに子どもが走って来た。喉が渇いたので水を飲む為である。するとその子は蛇口に手を差し出し盛んに首を捻っている。何をしているのかなぁと観察していると、どうやら手をかざすことで水を出そうとしているらしい。きっと自宅では手をかざすと自動的に水が出るようになっているのだろう。多分蛇口をひねるという事を知らない子どもだったのだ。公園も自宅と同じように手をかざせば水が出てくると信じていたのだろう。だからいつまでも手をかざしていたのだ。
このように魚を食べる時に骨を取る手間が省けたり、水を出す時に蛇口を捻ったりしなくても水が出るような生活に慣れてしまうと、それが当たり前になり前の生活に戻りにくくなる。そう考えると便利さも程々が良い。