今年のお正月は沖縄に行くことにした。久しぶりの一人旅である。学生時代毎年沖縄に行っていた。那覇がある本島ではなく、石垣島や西表島などの本島よりかなり南の島である。今みたいなリゾート地ではなく、まだのんびりした漁村が広がる島だった。50年も前の話で、沖縄が日本に返還された次の年である。

 当時は東京に住んでいて、学生の身分だったのでお金もなく、東京からの船旅であった。ゆったりとした船旅で一日中海を眺めていた。今考えると何というリッチな時間を過ごしていたのだろう。

 民家に何泊もした。びっくりしたのは夜寝ている時に鳴き声がするのだ。民家の主にそれが何であるか尋ねると、それはヤモリだという。イモリに似た形状をしていて天井に何匹も貼り付いているのだ。あまりにもうるさくて眠れないので、毎晩泡盛をあおって寝ていた。泡盛は焼酎よりアルコール度数が高く、中には70度を超えるものもあり、マッチで火を点けるとテキーラと同じように火が点くのである。小さなお猪口に注いで一気に飲み干す。その後チェイサー代わりにオリオンビールを流し混むのだ。

 まだ道路は車が右側通行で、バスに乗る際つい反対方向のバス停に並びバスに乗り遅れたこともあった。TVは白黒で番組は全て録画され、東京より2、3週間遅れて放映される。最初は違和感があったがそのうちに慣れてきた。

 私みたいに旅好きで、放浪していた若者が沢山いた。そういう若者と一緒に日本という国について一日中ディスカッションしていた。

 その当時の若者はかなりアナーキー(乱暴)で、政治的参加を積極的にしていた。デモが毎日のようにどこかで行われ、大学の建物の入り口はバリケードが築かれていて、中には入れないようになっていた。ゲバ棒という長い棒で、お互いセクト(思想)が違う若者を叩いたり突いたりして、怪我人が出ることもしょっちゅうあった。新宿駅では、若者がたくさん集まりギターをかき鳴らし反戦の歌を歌っていた。当時フォークゲリラと呼ばれていた。時には電車も止められて大混乱になったこともあった。とにかく政治に対する批判がものすごく、ザワザワした落ち着かない時代だった。そんな時代もあったのだ。

 それから50年近く経った。今回訪れた沖縄の那覇は、まるで東京みたいに都会であった。前回は自由な気楽な旅気分だった。今回はスケジュールで動かないといけないというのがちょっと残念だった。次回は罪滅ぼしを兼ね、一人旅ではなく家族連れで行ってみたい。