私は8人兄弟の末っ子である。その内訳は2男6女である。最初の4人は女の子。5人目がようやく待望の男の子だったので、父はそれはそれは大喜びで日記の中にその喜びが溢れている。その後2人女の子が生まれ、そして最後に男である私が生まれた。8人目でもあり、男の子としては2番目だったので、父としてはあまり感動は無かったのではないか。それが証拠に父の日記に私の記載は殆ど残されていない。残されているのは、私が1歳の誕生日を迎えた日の記録だけである。それには昭和25年10月26日(木)「二郎、今日で1歳となる。まだ歩けず。言葉も何も言えぬ。」と書いてある。

 兄は昭和16年、私は昭和24年なので8つの年の差がある。私が生まれた時は小学校2年生で年の差があったので一度もケンカをしたことがない。仲が良いというか、それだけ年が離れているとケンカにならないのである。

 兄は大学を卒業すると外科医になりたかったらしいが、父が産婦人科医だったので、後継ぎを考え産婦人科を選んだ。父が亡くなった後も産婦人科医を続け、定年退職後は大分県内に残り子宮癌の検診バスに乗り未だに仕事をしている。先日久しぶりに兄に会いに行くと、壁に掛けてあるカレンダーにその検診のスケジュールが書き込んであった。それを見ると土、日を除き殆ど毎日朝早くから検診車に乗り仕事をしている。81歳なのによく頑張っているなと感心する。

 兄と8つ違いなので、8年後はこんな風になっているのだろうなと想像しながら接している。しかしそれにしても元気である。安売りがあると聞けばスーパーに駆け付け、タイムセールがあるとその時間まで待って出かける。先日遊びに行った時は玄関の入口に缶ビールがうず高く積まれていた。10月からビールが値上げになるというのでまとめて買ったらしい。その数は100本以上にもなる。しかも安いだけではなく、そのビールの箱にはレトルトカレーなどの景品がくっ付けてある。安いだけではなくその景品が付いているのを探して買ってきているのだ。私にはとても真似出来ない。

 そういう兄も少し足が弱ってきて歩く時フラフラすることもある。同じことを何回も話をすることもある。しかし食欲は凄く私の倍位は食べる。81歳といえば日本男性の平均寿命である。そんなことを感じさせないパワフルな兄だ。まだまだ元気に仕事をしている姿を見せてくれる兄に尊敬の気持ちを持ちながら、8年後に私もこんなにパワフルに仕事が出来ているようにと願いながら兄の家を後にした。