タクシーを利用する際、運転手さんとよくお喋りをすることにしている。運転手さんは割と年配の人が多く、同世代なので話しやすいのだ。話題は、昔の宮崎の街の話が多い。5、60年前の話だ。

 例えば、今の山形屋の前と市役所の前にはロータリーというものがあった。そこを通る際、車は時計回りに回る一方通行になっていた。

 駅裏にある文化公園は何と刑務所だった。そこを通ると5m位のコンクリート製の壁で覆われていて、囚人を監視する塔がその中に立っていた。幼い頃「悪いことをしたらここに入らないといけなくなるからな…」と父にいつも脅かされていた。今ある公園からは考えられないことである。

 バージニア広場は、最近まで青空市場と呼ばれる露店があり、沢山の食物や日用品を売っていた。朝早くから夜遅くまでやっていて、スーパーのはしりみたいな所だった。年末になると、お正月の準備の為に凄い人々でごった返す。実に活気のある場所だった。考えてみれば、のんびりしていた良い時代だった。そんな時代に育った子どもたちが大人になり今や立派な老人になり、そんな時代を懐かしがっている。しかし当時のことを知る人は少なくなった。

 宮崎観光ホテル横の日豊本線には蒸気機関車が走っていた。鉄橋を通る時に、キラキラ光るものが降ってくる。それを子どもだった私は「天の恵みだ」と言いながら手をかざす。それは霧みたいなもので一瞬で消えるのである。しかしそれが何であるかは大人になって知った。

 それは列車に乗っている人の“おしっこ”だったのだ。昔の列車はボットントイレでトイレで用を足すとそのまま下に落ちるようになっていた。今じゃ絶対考えられないようなことだ。因みに便器の前には『停車中は排便しないで下さい』という張り紙がしてあった。何故かは考えなくても分かるだろう。しかしそれを見ると無性にしたくなるから人間というのは不思議なものだ。

 タクシーに乗る際は、年配の運転手を捕まえてはそういう大昔の話をする。当時のことを話出すと話が止まらなくなり、お互いに「昔は本当に良い時代でしたネ」とノスタルジーを残しながらタクシーを降りるのだ。