宮崎市内の宮崎山形屋で、『TOKYO展』というのを開催していた。色々な東京の美味しいものなどを宮崎まで持って来て、東京の雰囲気を感じてもらおうという企画である。そのネーミングに惹かれて出掛けてみた。

 するとその中に行列の出来ている店があった。“天音”というたい焼き店である。それはたい焼きの回りに羽という部分が切り取らずについている。羽根つき餃子と同じ発想である。並ぶのが嫌いな私だが並んで買ってみたら、上品な餡の味がする。これこそが東京下町の味である。宮崎に居ながら東京の味が味わえることが出来るというのがミソである。

 私は前回の東京オリンピックが終わって直ぐの昭和39年(1964年)秋、中学生の時東京に転校した。15歳を過ぎたら元服として男は東京へ出されるのが谷口家の家風だったのでそれに従ったのだ。

 中学校は3ヵ月在籍。その後都立高校、大学に進学し、医師になって1年間、つまり15歳から26歳まで10年以上も東京に居た。今から55年も昔の話である。多感な時代を東京で過ごしたので、自分では勝手に宮崎生まれの東京育ちのシティーボーイだと思っている。

 ニチタチなどの飲屋に行くと「どこからいらしたんですか?」と必ず尋ねられる。そこで「ここから100m位の所ですよ」と答えると「えー本当?」と驚かれる。それは私の喋る言葉が標準語に近いので、まさか宮崎生まれだとは思われないのだ。その時嬉しいような悲しいような気持ちになる。

 そう私にとってはやはり東京は第二の故郷なのだろう。かといって決して宮崎を馬鹿にしている訳ではない。つまり宮崎に住んで尚且つ東京の感覚を持っていたいのである。だから東京というネーミングにはつい足が向かうのだ。

 来年東京オリンピックを迎えると又東京も変わるであろう。その時東京は私にとって未知の世界になっているに違いない。