先日4~5kgもある大物ヒラメ(大判ヒラメ)を狙った釣り番組を観た。それによると餌は生きた鰯を使うのだという。どうやってやるのか観ていると、それは“泳がせ”という釣り方。親針と孫針の2本の針を付ける。そのうち親針は上顎や鼻に引っ掛け、孫針は背びれの後ろに付ける。それを手早くつけるのがコツだという。

 頭と体と付けることによって、鰯が外れないようになっているらしい。。「この付け方が大事なんですよ」と言いながらブスリと鰯に刺している。その付け方が悪いと鰯は弱々しく見えヒラメが興味を示さないというのだ。だから手際よく付け海に放り投げていた。水中カメラでその様子を見ると本当に海の中を泳いでいるように見える。それをヒラメが追っかけ釣るという訳だ。でも考えてみれば鰯にとっては災難だ。捕らわれた上にブスリと大きな針を刺されるのだから痛いことだろう。それが証拠にしっぽを左右に千切れる程振っている。釣る人はヒラメのことしか考えていないのだろうが、鰯のことも考えて欲しいと思う。

 その点、藤岡弘さんは全く違う。先日もTVで延岡の島野浦の港で魚を釣っているシーンがあった。中々思うように釣れないのだが、ようやくメジナが釣れ、それを近くの居酒屋で料理してもらうことになった。

 その魚を前にして「感謝です。いただきます。ありがとう」と一言言って食べ始めたのだ。勿論それを料理して下さった人への労いのいただきますという感謝もある。だが、本当の意味は命をいただくという意味合いの方が強いのだ。

 金子みすゞさんの詩にこういうのがある。

 『朝焼け小焼けだ大漁だ 大羽いわしの大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の中では何万のいわしの弔いするだろう』まさに食べられる方にもそれなりの事情があるのである。

 だから釣り番組を見ていると、その視点が欠けている気がする。釣るということはその魚の命をいただきますということなのだ。

 私もよく釣りに行くのだが、釣れたらまずその魚に『ありがとう』という言葉をかけることにしている。いずれこの魚は命を失い、私の腹の中に収まるのだからという意味を込めているからである。

 魚を釣る時はいつもそういう気持ちで釣って欲しい。そうすればお魚さんも食べられる時「美味しく召し上がって下さい」と声をかけてくれるだろう。