先日『レトロtoミライ』という催し物をやっていた。半世紀以上前の昭和20年代~30年代がどんな時代であったかを若い人にも知ってもらおうという企画である。私が生まれた昭和24年(1949年)は戦後の混乱期がようやく落ち着き始めた時である。そしてベビーブームで私が生まれた年は何と280万人もの赤ちゃんがうぶ産声をあげた。あまりの子どもの急増で教室が足りなくなり、校庭にプレハブの教室などが作られた。1クラス50人位いて、勉強より遊びに夢中だった。兄弟が多いので遊ぶ相手は年齢に幅があった。喧嘩など始まっても誰かがそれを上手い具合に治める。そういう風にして年齢に関係なく接していたのだ。だから引きこもりの人など皆無だった。
近くの広場には紙芝居のおじさんがやってきていた。太鼓が鳴ると子ども達が集まり紙芝居が始まる。テレビのない時代、それを楽しみに皆そのおじさんの前に集まった。見終わるとそのおじさんがペロペロキャンディなどを子ども達に買ってもらうのだ。甘さに飢えていた子ども達はそれを美味しそうに頬張る。当時は甘いものに飢えていた。甘いものを食べたくなると砂糖をこそっと舐めるのである。氷砂糖など見つけると、あっという間になくなる。
道路はまだ舗装されてなくて砂利道だった。雨が降らないと車が通る度に砂埃が舞い上がり、家の中の床はいつも埃だらけだった。雨漏りもしょっちゅうして、その度にバケツや桶をそこに持って行く。だから雨の日はまるでそのバケツや桶に落ちる雨音が部屋中に響き渡り賑やかだった。シラミやノミなどが身体にいるので、時々DDTという白い粉の殺虫剤を頭の上から振りかける。振りかけられた後は雪が体に積もったように体全体が真っ白になるのである。予防接種も学校で行われていた。体育館などに全員集められ次々と接種していくのである。使い捨ての注射器ではなかったので、その後問題になった。
まぁそのような混沌とした時代でもあり、大らかな時代だった。色々大変な思い出もたくさんあったが実に楽しい時代でもあった。今『Z世代』といわれる10代~20代の人達も、あと50年もすると今現在の出来事をノスタルジアとして感じるはずである。人は誰でも年齢をとる。だからその思い出はじゅんぐりに続くのである。