昭和52年(1977年)9月11日。私達夫婦に待望の第1子が生まれた。その吉報を私はアルバイト先の病院で聞いた。取り上げてくれたのは私の実兄で、分娩が中々進行せず、帝王切開になるかもしれなかったと後で聞いた。兄としては父親である私が居ないし、もし万が一のことがあったらどうしようと内心気が気でなかったらしい。しかし元気な赤ちゃんが産声をあげ、ほっとしたという。
生まれた時の体重は3710g。ジャンボな女の子である。150cmしかない小柄な家内にとっては、かなり大変なつらいお産だったに違いない。仕事を終え、大急ぎで長女に会いに行った。初めて対面した時は、本当に丸々とした赤ちゃんというのが第一印象だった。あまりにも大きく、ほっぺたがプクっとして可愛らしかった。ずっしりした我が子を抱くと、うれしさとなんとも言えない幸福感がじわっと体の中にわき上がってきた。その子の名を「ひらひら」と名付けようと思い、母に相談したら「親がフラフラしているのだから、将来そんな風になるかもしれないからやめなさい」と諭されてしまった。そこで「飛鳥」という名前にした。
その長女が24歳の誕生日を迎えた2001年9月11日。「お誕生日おめでとう」と彼女に電話で伝えた。そしてその夜、彼女から電話があった。今すぐテレビをつけてみてという。話によると、ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が衝突したというのだ。あわててテレビをつけてみると、そこに映っていたのは黒煙を上げて燃えている高層ビルだった。キラキラ光るものが落ちている。よく見ると、それは窓ガラスの破片らしい。窓から身をのり出している人らしきものも見える。まさかと我が目を疑った。そのうちに一瞬にして、あのニューヨークのシンボルが崩れ落ちていった。そう、あの9.11テロ事件がまさに目の前で起こっていたのだ。この日から長女の誕生日は、米同時多発テロと同じ日に生まれたという忘れられない日になった。
誕生日当日、毎年のことながらどのチャンネルでも米同時多発テロのニュースばかりである。何回も、いや何十回も飛行機が貿易センタービルにつっ込むシーンがくり返される。そこで殉職した消防士達の会話の録音テープ。命からがらビルから逃げのびた人達のインタビューなどが一日中流されていた。高校・大学と青春時代をアメリカで過ごした娘に、その光景はどれだけの衝撃を与えたことだろう。
自分の誕生日が来る度に、いつもこのテロのニュースが流れることだろう。命とは何ぞや。まさにそれを毎年問われるメモリアルバースデイ。私達夫婦も長女と同じ気持ちで、その日をずっと迎えることになる。ハッピーバースデイと世界平和を祈りながら…。