2001年(平成13年)1月1日、宮崎市松橋から市内上野町に引っ越した。名称も谷口産婦人科医院から、たにぐちレディースクリニックと変更になった。この場所は私の実家で、昭和17年から昭和45年まで父が谷口産婦人科病院を開業していた。私もここで昭和24年10月26日生を受けた。
当時は宮崎一の遊郭街になっていた。映画館や劇場、孔雀園という遊園地もあった。青空市場も大いに賑わって、今でいうスーパーの代わりの役割をしていた。何かというと人はそこに集まってきた。銀天街には宮崎に初めてアーケード街が出来、雨が降ってきても人は行き来していた。当時有名なステーキ屋もあり人が列をなしていた。
とにかく、買物、娯楽というものは全部揃っていた。そんな環境で育った私だったので、ませた子でもあった。黒迫通り(今の中央通り)を毎日歩いて小、中学校に通っていた。
その後近くに大きなビルが建ちはじめ、飲屋街が徐々に形成されていった。私が生まれて初めて行った飲屋は『大太鼓』という店で、中に入ると威勢よく太鼓が打ち鳴らされ、来客を知らせる仕組みになっていた。その後スナック、バーなどが次々と出来はじめ、その通りはニシタチと呼ばれるようになった。その後中央通り、西銀座通りとそのエリアは拡張していった。今では宮崎市内だけで約3000軒近くもあり、歌舞伎町顔負けの多さである。
私のクリニックはバージニアビーチ広場(前の青空市場)の目の前にある。飲屋街まで1分。一番街でさえたった3分しか掛からないのである。つまり飲み助の私には最高の立地にクリニックを建てたということになる。行きたい時にいつでも行けるのである。
そこで始めたのが色々な店巡りである。スタイルは“吉田類の酒場放浪記”スタイルで、ぶらりと飲屋に入る。それも大衆酒場と言われる店ばかりである。そして基本はオープンしたばかりの店である。
どうやってそういう店を見つけるのか。それはまず毎日飲屋街を散歩することから始まる。新しい店が出来る時、必ず改装するので工事中である。だいたい工事を始めたら2~3週間するとオープンする。そのうち蘭などの花が店の前に並べられる。そうすると2~3日以内にオープンである。
私が行く店の条件は足が伸ばせる店である。最近は年寄り向けに座敷ではない店も多くなった。新しい店は殆ど足が伸ばせるようになっている。又ネットなどで調べるとそういう条件も記載してある。最近の女子は料理よりもそういうことで店を選ぶ。私も仲間と飲み会をする時にまずそこをチェックする。
今や宮崎は居酒屋の戦国時代だ。出来ては直ぐ潰れ、又出来ては直ぐ潰れる。それも『スシロー』みたいな安くて美味い店が増えてきたからである。最近気が付くのは、注文がタッチパネルの店が増えてきたことだ。先日行った店もそうだった。パネルで注文したが20分しても何も来ない。すると店員さんが来て「何か注文されましたか?」と言う。どうやら最後の確認ボタンの押し忘れらしい。ちょっと恥ずかしかったが、直ぐ料理が出てきて安くて美味かった。
しかし何故、年に100軒を超える初めての飲食店に通うのだろう。自分でもずっとその理由がわからなかった。しかし最近その理由が分かった。それは知らない店に入る度に、旅をしている気分になれるからだと。つまり初めての店は当然1回も行ったことがないので、ふらりと旅先の店を訪れた気分になるということに気が付いたのだ。
開業して33年になるが、旅行に行ったのは1回だけだ。ましてや家族旅行は皆無である。それは産婦人科の仕事は何が起こるか分からないので、遠出が出来ないのだ。県外にもここ5年位出たことがない。いつも2時間以内の所にしか行けないのだ。
元々旅行好きで学生時代は日本国中を旅した。卒業してからはシルクロード、アフリカ、インド、ネパール、中国などの未開の地を旅した。だから何となく見たことのない世界への憧れが強いのだろう。だから一度も目にしたことのない光景を求めて飲食店を巡るのに違いない。今になってそう確信した。
これからもこういう風に新しい店を探す旅は続くことだろう。そこで色々な人と出会い、色々なことを学ぶに違いない。旅と違うこと。それはいつでも我が家に帰れるということ。予約もチケットもいらない気楽な旅である。さぁ今夜も気合を入れて旅に出よう。