学生時代、耳鼻科の実習を受けた時の話である。外来に小さなカラオケボックスみたいなコンテナが置いてある。遮音性の高いグラス繊維が沢山つまっていて、中に入り扉を閉めると、外部の音は全く聞こえない。そしてヘッドホンを耳にあて、聞こえてくる音の強さで聴力を計るのだ。

 最初は0デジベルから始まり低音から高音域で、目の視力検査と同じように、客観的に聴力を計ることができるのだ。

 初めてその中に入った時に、音のない世界というものはこういうものだと体験をする。外部の音はもちろん聴こえないのであるが、中で立てる音もすぐ吸収されてしまい、耳の奥まで届く音というのは皆無に近い。音に全く余韻がないので違和感の強い音が耳に残る。

 10分も中に入っていると、不安になってくる。20分も入っていると、とにかく早く外に出たくなる。

 扉を開けて外に出ると、まるで何10年もこの世を離れていたように思える。車 の騒音、風の音、人の話声、テレビの音など全てがとても新鮮に感じる。

 しばらくの間は今まで感じた事のない音に対しての、ノスタルジーにひたった。それが嫌な音と感じるものまでが、何か素敵な音に聞こえるから不思議だ。

 天才音楽家ベートーベンは27歳位からだんだん聴力が落ちて、ラッパ型の補聴器を用いて創作活動に打ち込んだ。そして第九交響曲が完成した時は殆ど聴力は0に近かった。

 1824年5月7日、第九が発演された時、ベートーベンは全く聴力を失っていた。そして演奏が終わってからも、熱狂的な民衆の拍手にも気づかずアルト歌手の一人にようやく促されて初めて気が付いたという。

 先日来日したエグニン・グレーニーという女性の音楽家も、全く耳が聞こえない。8歳の頃からピアノを習いはじめ、その頃から少しずつ難聴になり12歳で全く聞こえなくなった。音楽を目指す者にとって音を失うという事は、死ぬ事より辛い事だろう。しかし彼女はくじけなかった。

 聴力を全く失った時、彼女は打楽器という楽器が演奏できる事に気付いた。そして‘85ロンドンの王位音楽院を卒業すると同時に打楽器奏者としての道を歩み始めた。彼女は、音の高さを壁に伝わる振動で自分の音を知り、民衆にマリンバや太鼓を使って音を伝えるという方法を編み出した。

 それは、我々の耳がいかに大雑把で、いいかげんなものであるという事を教えるかのように、聞く者の胸を打つ。

 そして、世の中やろうと思って出来ない事はないという事を、我々に彼女は教えてくれるのだ。

 当院でも耳の不自由な方が来院される。先日も小さな子どもさんを連れた女性が来院された。全く聞こえないようではないが、大声で話さないと分からないようだ。そこで筆談ですることにした。

 「どうされたんですか?」お腹に手を当て痛そうな表情される。

 「お腹が痛いんですか?」とメモ用紙に書くと首を振られる。もう一度「お腹が痛いんですか?」とメモ用紙に書いてみた。近くにいたスタッフが「先生、先生の字が汚くて読めないんじゃないですか?」と失礼なことをいう。そこでゆっくりと丁寧な字で「お腹が痛いですか?」と書いたら頷かれた。やはり私の字が汚くて読めなかったようだ。

 今度からペン習字を習い誰でも分かる文字が書けるよう頑張ろう。そう思った。