私は昭和31年、宮崎市内にある共愛幼稚園という幼稚園を卒園した。一緒にいた仲間は約180人。今考えてみると、本当にイモの子を洗うような園内生活だったはずだ。何せ団魂世代の中でも一番出生数の多い年代の昭和24年。1年間に270万人(今の何と2.5倍)もの赤ちゃんが生まれていたのだから、当然といえば当然かもしれない。
当時はまだ戦後10年位経った頃で、まだまだ貧しかった。服は破れたら必ず継はぎがしてあったし、靴も粗末で、靴下など履いている子も少なかった。今ではほとんど見られないが、鼻水が緑色をしているいわゆる青バナの子が沢山いた。お風呂なども1日おきだったりするのが普通で、髪も洗わないので髪がボサボサになり、シラミがいたりする。だから定期的にDDTという白い粉の殺虫剤を先生に頭から振り撒かれていた。
元々が100年前の明治初期に建てられたものだが、その後戦災で建物が焼失し、昭和24年に教会が建てられた。物がない時代だったので、壁などはベニヤ板にニスを塗った簡単なものだった。だから足で蹴飛ばしたりすると、すぐ壁に穴があいたりしていた。
その教会が今年7月に建て替えられるというので、幼稚園の同窓会を企画した。ちょうど昭和24年に建てられたという事は、今年還暦を迎える我々と同じで、教会も還暦を迎えるという事もあり開催された。
180人位いた同級生達も、もう50年以上経つとその大部分はどこに住んでいるのか、何をしているのか分からず、連絡しようにもなかなか難しかった。それでも50人近くとは連絡がとれ、当日は20人位が集まった。
3クラス、180人もいたので、お互いに知らない人もいた。あるいは何となく当時の面影を覚えている人もいた。それでも話をすると当時の話題で盛り上がった。
当日は当時の先生も2人出席して下さった。その時の我々の様子をよく覚えて下さっていた。ある人はお喋りで話し出すと止まらなかったとか、ある人は男勝りで男の子よりも男の子らしかったとか、ある人は何か間違うとすぐ突っ込まれるなどと話して下さった。私はというと、いつもハニかんでいて恥ずかしがりやでヤンチャだったらしい。そういう話を聞くと、本当にみんなその通りの性格で、小、中、高、大学、それから仕事上といろいろ影響を受ける時代を過ごしたのにもかかわらず、性格というのは本当に小さい頃と変わらないものだ。
当日は当時の卒園アルバムがリメイクされ配られた。当時は白黒写真だった。本当に全員が貧しい服装で写っている。それでも多分その日は写真に写るというので家にある『一張羅』を着て写ったのだ。
還暦というのは本当に赤いチャンチャンコを着て、生まれた時に戻ると言うが、まさにそうだ。今度は中学の還暦同窓会を企画しているが、やはり昔話に花が咲くことだろう。還暦になると気持ちが子供の頃に戻るというのは本当らしい。