親友が亡くなった。突然の死だった。
1ヵ月位前に遊びに来て話していたのに、信じられない。
葬儀に参列して、そろそろ自分の事も考えなくてはいけないとつくづく思った。
 今や少産多死の時代に突入した。年間120万人位の人が亡くなっている。
その数は益々増えると考えられ、2~30年後我々団塊の世代が平均余命を迎える時は、
恐らく今の倍以上の方が亡くなっている計算になる。
 死ぬ前に、自分の葬儀の事を考えるなんて縁起でもないと思っている人も多いことだろう。
しかし元気なうちに考えておかなくてはならないのではないかと思うようになった。
 最近、葬儀の『生前予約』というのが注目されている。
一言で言えば、自分の葬儀を自分でプロデュースするというのである。
急に亡くなってから、それから慌ただしく葬儀屋と打ち合わせしなくてはならない。
悲しい気持ちの中で、いろいろ物事を決めるのは大変な事だ。
「故人の為にはもう少し豪華にしてあげた方が喜ぶのではないか…」とか
「葬儀が立て込んでいるので、すぐには出来ない」とか葬儀屋の言いなりになる事も多いという。
 僧侶のお布施なども不透明だ。
「気持ちだけで充分です」と言われても、一体どれくらい包めばいいのだろう…と考えてしまう。
実際は読経と基本的な戒名を頼んだ場合30~35万円包むのが常識だという。
 遺影なども突然亡くなったり、長期間入院している時はすぐに用意出来ないものだ。
私の母の時は、家にあるアルバムを全て棚から取り出し開き、たまたま旅行中の微笑んでいる写真があり、
それを引き延ばし使った。それはとてもいいスナップ写真だったので、
葬儀の間ずっとそれを見ていると、まるで母が語りかけてくるような気になった。
やはりピンボケや怒ったような表情、やつれた顔などは避けたい。
最近では、元気なうちに写真を撮っておき遺影に用いるというサービスも始まっているという。
 昔に比べ葬儀のスタイルは変化している。10年前はなかった家族葬というのが増えてきた。
ちなみに12年前の葬儀費用は平均366万もしたそうだが、今は242円と3割以上も安くなっている。
その内訳は葬儀業者に124万円、お寺に52万円、食事などの接待費が65万円だという。
 さて、私の葬儀はどうしたらいいか。
まず仏式・神式・キリスト教式というジャンルを飛び越えて自由葬にして欲しい。
まず生きている時の映像を編集しておき、それをスクリーンに流す。
結婚式でよく見る生い立ちのビデオ形式である。
その為、今のうちからカッコよく映った映像を探すか、あるいは今からでもカッコいい所をビデオカメラに残しておく。
 実際、ピアノを弾いている所を10年位前から撮っているので、それを編集して聴いてもらいたいと思う。
次に知人、友人に一言メッセージを喋ってもらう。
会場は美味しい料理と酒を用意し、カラオケもあり飲めや歌えの立食パーティー。
帰りには私が書いた本をお持ち帰り頂いて、それを家で読んで私を偲んでもらう。
 墓は病院の屋上に建て、遺骨はペンダントにして子供達にお守りとして持ってもらう。
考えてみたらなんと自分勝手なんだろうと思う。
そう言えば最近家内とお互い葬儀の話をする事が多くなった。
家内が言うには、私の葬儀はまず子供など親しい人達だけの葬儀を済ませ、
後日「お別れ会」を開くというのが希望で、「絶対そうしてね」と釘を刺されている。
「おいおい私の方が先に逝くっていう事が前提なんだからそりゃないだろう」と笑って言いながらも、
やはり具体的に考え行動する時がきているようだ。
人生の最後の『ひのき舞台』だからこそ、かっこ良く逝きたい。