年老いて来ると、自分は一体この世の中に役立っているのだろうかと時々思うことがある。何せ自分のみでやれることが限られてくるからである。例えば人混みの中を歩いている時も、周りよりのろく、よろよろとしているので、若者の邪魔になるのではないか。スクランブル交差点も、渡っている途中で点滅し始め渡り始めると、渡り切る前に信号が変わる。すると邪魔だとばかりにクラクションを鳴らされたり、やはり世の中のスピードに追い付いていないと感じる。
定期的に『医療費のお知らせ』というのが届く。これは「あなたがこの期間に使った医療費ですよ」というもので、医療費の無駄をしないようにとの思いで国保組合から届く。若い頃はほとんど月何千円で済んでいたものが、今は数万円かかっている。「あなたは○〇病院にかかってこれだけ支払っているけど、国がこれだけ負担しているのですよ。だから努力して減らしなさい」と言っているようにもとれるような気がしている。
確かに65歳を超えると、考えられない位医療費がかかるようになった。あと10年して75歳になれば、こんなものでは済まないだろう。毎月何十万円もかかるはずだ。毎月5万円位の保険料を払っているので、「その差は国が払ってあげているのですからね」と言われても仕方ない。
もちろん若い時から支払った額をトータルで考えると、まだその額は支払った金額の方が多いはずであるが、いずれそれ以上のお金を国が負担していかなくてはならない。
我々団塊の世代は、戦後ベビーブームに生まれた1000万人もの人間集団である。あと10年もすると、その世代が全て75歳以上の後期高齢者になる。いわゆる2025年問題と言われるものだ。
85歳を過ぎたら「胃瘻はつけない」「手術はしない」「延命装置はつけない」という法律でも作らないと医療費はあっという間にパンクをするとある人の投書に書いてあったが、確かにそうだ。
年老いたら死が近付いてくるのは仕方ないことだ。日本人の平均寿命は男性80.50歳、女性86.83歳である。しかし人の手を借りなくても生きられるいわゆる健康寿命は男性71.11歳、女性75.56歳である。つまり人間は人生最後の約7年間は他人のお世話になるということだ。その期間をなるべく短くしようといろいろな試みがなされている。
例えば減塩の食事を摂る。よく歩く。人と話す。よく笑うなどいろいろあるがそれも限りがある。しかし最近いろいろな芸能人の死に方を見ていると、亡くなる直前までは仕事をしている人も多い。見ている方は辛いだろうが、本人は真剣そのものだ。それは何とか自分が生きていた証を残したいということだろう。
人間の死亡率は100%だ。つまりいずれ死ぬ時が来る。一番の理想はPPKつまり“ピンピンコロリ”だろう。東京巣鴨のとげ抜き地蔵には、そういう人が沢山お参りに来るという。元気なうちに逝きたい。誰もがそう思う。しかしこれだけはそうはいかない。だからせめてエンディングノートなどに自分の最後のシナリオを書いておけば、いざという時にバタバタしない。だから今やエンディングノートは、書店のベストセラーになっている。
そこで私も買ってみた。すると、第一章葬儀(潔いお別れの手引き)、第二章遺品(趣味・愛蔵品の遺し方)、第三章財産(相続・遺言)と分かれている。各々に詳しくそのやり方が書いてある。それを読んでいると、頭がクラクラしてくる。ついその時を想像してしまうからだ。でもいずれその時は来るのだ。
そしてその書き方、使い方が次のように書いてある。
①まず名前を書きましょう。②好きなところから、書けるところから、書きましょう。③日付は忘れずに書きましょう。④1年に1回は見直しましょう。⑤大切に保管して、保管場所は大切な人にだけ伝えましょう。⑥この『終活手帖』には法的効力はありません。
詳しくいろいろ説明してあるが、余白の欄も何ページもある。例えば葬儀の仕方、延命について、遺品は残すか捨てるか、遺言、預貯金、生命保険、介護、もしもの時の連絡先。これらは自分で記入しなくてはならない。
そうは言っても、元気なうちに死を想像することは出来ない。しかしいずれ来る死に対して備えを万全にしておかないといけない。つまり各個人がそれぞれに考え、残された人に分かりやすく指示を与えなくてはならない。それが亡くなる時の礼儀、他人に対する思いやり というものだろう。