台所に置いてある冷蔵庫からカタカタと変な音が聞こえる。電器屋さんに来てもらうと、どうも壊れる一歩手前らしい。修理しても長くは持たないだろうという。そして「突然動かなくなることもあるので、その時は買い替えなきゃだめですネ」と念を押された。
家内が「それじゃ、困るわ。だってそうすれば料理出来ないじゃない。ということはあなたの朝食もないということよ」そりゃ困る。朝メシ抜きなんて、仕事しようという意欲が挫かれる。(因みに昼食、夕食は給食を検食しているので家内は作らない)
冷蔵庫は20年前に台所にやってきた。最新式で氷も自動で出来るし、チルドという引き出しもある。実に最新式だった。それから365日、24時間頑張ってきたのである。時間に換算すると17万時間。夜も昼も寝ずに(当たり前だが)ひたすら冷やすことに徹底してくれていたのだ。そりゃもう「お疲れ~」と声をかけても良い位だったのだ。
そこで電器屋さんに新しいものを注文することになった。新しいのが来て古いのをどけると夥しいホコリが・・・」。それが長年の月日を感じさせていた。それは家内が掃除をさぼっていた訳ではなく、重い冷蔵庫の下と後だったので仕方なかったのだ。「長年有難う!」と深々と頭を下げ冷蔵庫を見送った。
それから数日後、今度は電子レンジの電源が全く入らなくなった。スイッチを入れてもウンともスンとも言わないのだ。(ウンとかスンとか言ったら大変だが…)どうもこれも寿命らしい。製造年月日を見ると何と23年前に購入したものだ。熱気に耐えよく23年も頑張ってくれた。これもすぐに電器屋さんに新しいレンジを注文した。
次々とモノが壊れていく。毎日何気なく使っていたものが壊れてしまうと、次は何が壊れるのだろうと不安になる。
その時ふと思った。考えてみれば私の製造年月日は昭和24年10月26日である。もう69年と6ヵ月になろうとしている。普通の電化製品はせいぜい10年から20年が寿命だ。それと比較すると随分長く各パーツが動いているものだ。そのパーツが悪くなったからと交換したり、新しいモノに替えたりすることは出来ない。だから毎日気をつけて使わなくてはならない。
しかしさすがに70年近くになると色々な所に困った箇所が出てくる。まず膝。今までは毎日1万歩歩いても何ともなかったのが、最近は7000歩位になると膝が笑い始める。本当に笑うのではなく、カクカクして痛くなるのである。だから張り切って長時間歩くことが出来ない。
あんなに良かった視力も落ちてきた。どんなモノでもよく見えていたのに、先日の視力検査で1.2と1.0。何だ、全然悪くないじゃないかと言われるかもしれない。しかし昔は両目とも2.0で、何で2.0以上の検査がないのだろうと腹立たしかったのが、最近は下の段から3つ上位からはあてずっぽで言うしかない。それが又よく当たるものだから1.2と1.0あるのかもしれない。だが実際は1.0以下であるのは間違いない。眼科の先生に相談すると、まだ老眼鏡を作る程ではないと言われた。そこで100円ショップを覗いてみたら「あった!」。1.0~2.0までの度のメガネである。とりあえず1・0~2.0の眼鏡を数個買い求めた。すると今までとは全く違ってよく見える。よく見えるのはこんなに嬉しいことかと初めて思った。
これからも体の至る所にガタがくることだろう。今日出来ることが明日は出来ないということもあるかも知れない。
そんな風に出来ないことが増えても、それを数えることは止めよう。その出来ないことが出来る工夫を探してみよう。そしてそれが出来なくなった時は、そのことはスッパリと忘れて出来ることだけを考えよう。そう考えると急に気が楽になってきた。
P.S 日本の医師は、患者さんが病気になった時に『あれが出来ない、これも出来ない』と言うが、外国では『あれも出来る、これも出来る』と説明するという。つまり私の考えはそれの老人応用版である。