FM放送が開始されて40年が経ったという。40年前というと1969年(昭和44年)である。当時私は、一浪してようやく大学に入学した年である。
それまでは、AM放送しかなく、FM放送が開始される1年前位から、深夜放送の『オールナイトニッポン』や『パックインミュージック』が始まり、若者に絶大な人気を誇っていた。当時の中高校生や受験生はこれを聴きながら勉強していた。この深夜放送のすごいところは、リスナーのリクエストやハガキによって成り立っていたという事である。リスナーとディスクジョッキー   との距離が近く、まるで隣のお兄さん、お姉さんと話をしているような感覚の番組であった。一方、FM放送はそういうふうな喋りは少なく、音楽を聴くという事を中心とした放送であった。リスナーもAMより高めの年齢になっていて、いわゆる大人のラジオといったおもむきがあった。
当時このFMの番組を録音するいわゆる『エアチェック』にかかせないのがラジカセであった。大卒の初任給が3万円だった時代、2万5千円もしたというから、今だったら15万円位するということになる。それでも爆発的に売れ、ラジカセはどの家庭でも1台はあるという時代になった。
私も大学に入りラジカセを買った。当時お金もなくラジオがついていないカセットデッキを大学近くの質屋で中古で購入した。それでも7~8千円はしたので、一生懸命皿洗いのバイトなどでお金を貯めて購入した。
手に入れた時は、嬉しくて一日中手元に置いていた。当時、車にはカーステレオがほとんどついていない時代だった。私のポンコツ車にも、もちろんついていないので、電池式のこのカセットレコーダーをいつも車の助手席に置いて好きな音楽をかけながら車を運転していた。
その後、ようやくラジカセを買う事が出来たが、それは当時流行っていたすごく大きなラジカセだった。大きさは幅が80cm位もあり、ダブルカセットである。当時いつも聴いていた放送があった。それは1967年から始まった『ジェットストリーム』である。城達也という名のジョッキーがミスターロンリーの曲にのせ、喋る名ナレーション「遠い地平線が消えて、深々とした世の闇に心を休める時、はるかな雲海の上を音もなく流れる気流は、たゆまない宇宙の営みを告げていきます・・・」これを何百回といつも新鮮な気持ちで聴いていた。(ちなみに、1967~94年まで7387回も続いた。)
このFMのエアチェックに欠かせないものがFM雑誌であった。当時『FMレコパル』『FMfan』『週刊FM』『FMstation』などが本屋の店頭に並び、月間100万部も売れていたというのだから驚きだ。内容は最近の音楽事情が載っているのだが、そのページの半分以上は番組表である。それもかかる曲目、その演奏時間などが秒刻みで載っているので、それを見ながら自分の好きな曲だけエアチェックしてカセットに録音する。そして自分だけのお気に入りのカセットを作製するのだ。それを自分のカーステレオに入れ、グルービーな気分でドライブするのが当時のトレンドだった。
1980年代に入ると、CDレンタルが始まった。それまでレコードを買うと1枚2500円位していたのが、たったの300円で好きな音楽をカセットに録音できる。そうなると急にエアチェックというブームが去っていった。
しかし何と言っても、音楽大好き人間の私の原点はやはりラジカセである。好きな曲を好きな時に、どこでも聴く事が出来る。しかし、今やラジカセを置いている家庭はほとんどなくなり、ラジカセが絶滅種の一つになりつつある。今でも朝、愛犬『ロキ』との散歩の時は小さなカセットレコーダーをウエストポーチに忍ばせ、好きな曲を聴きながらウォーキングをしている。一生私はこのラジカセが手離せないだろう。それほどラジカセが私の生活の一部になっているのだ。