今まで十数台の車を乗り次いできた。初めて乗った車は、父親から譲り受けたブルーバードである。色はダークブルー、形はダルマ型と呼ばれる車であった。父が購入したのが昭和30年代後半で、私が譲り受けたのは昭和45年、父が亡くなった年である。もう既に購入して10年位経っていたので、至る所がサビついていた。雨が降るとガラス窓の隙間から水が入ってくる。ワイパーは動くのだが、ゴムがボロボロで雨が降ると何の役にも立たない。そういう時は窓を開け、顔を外に出して前を見なくてはならない。マフラーも破れていてもの凄い音がする。助手席の足元は何と穴が開いていて、地面が見える。友人達が「ブルーバード」というより「ボローバード」だとあだ名をつけた位だ。それほど本当にボロボロになるまで乗った。

 初めて自分のお金で買ったのはコロナ。当時20万円した。大学に入って4年目であった。勿論中古であったが、ブルーバードに比べれば雲泥の差だった。シートはリクライニングシートだし、ドアを閉めるといかにも本物のドアを閉める音がする。実はこの車が我々夫婦のキューピット役である。この車を友人に貸したら、お礼に女の子を紹介してくれた。それが今の家内だ。人間、何が縁で結婚するか分からない。もしこの車がなかったら、私はまだ独身だったかもしれない。そう考えると、この車に感謝しなくてはならない。

 昭和51年、結婚して買った車が中古のブラウンのホンダシビックだ。当時50万円した。学生時代からホンダシビックに憧れていたので嬉しかった。次が三菱のジープ(昭和39年製)。幌を外して走り回っていたが、実に気持ち良い。これがオープンカーの魅力にとりつかれた始まりである。ジープは夏にぴったりと思われるかもしれないが、実は夏は太陽でジリジリと暑いのである。特に信号で停まった時は暑くてたまらないので、うちわが必需品であった。

 次がマツダの中古のRⅩ7というスポーツカー。ロータリーエンジンを搭載していて、馬力もかなりあり、信号レースをするとどんな車より早かった。次は生まれて初めて新車を買った。それも又RⅩ7のセミオープンカー。2+2シーターで四人乗りなのだが、後部座席は子供2人がようやく乗れる位の狭さだった。

 次に買ったのが、ワンボックスカーでタウンエース。これは7人も乗れるし、室内も広いので子供を乗せるには便利だった。しかし広いので、子供を全員乗せたつもりで発車したことが何回もあった。そこで、乗った後に上の子から順番に、イチ、ニー、サンと号令をかけ確認してから出発していた。

 次がホンダの赤のシティカブリオ-レ。これは幌が手動であるが、開け閉め出来る4人乗りのスポーツタイプだ。しかし前輪駆動でパワステがついていないのでハンドルが重い。狭い所に駐車する際は、肩で息をするくらい力が要った。

 その次がBMW535。生まれて初めての左ハンドル。馬力も280馬力もあり、あっという間にスピードが出る。高速では気がついたら100キロをずいぶん越えていたこともしばしばだ。

 その次は4駆のランドクルーザー。これは大きな車体で普通の倍位の3トンもあり、戦車を運転している感覚だ。 

続いて、スズキジムニーのジープ、フォルクスワーゲンのゴルフ。そしてホンダのビート。これは軽のスポーツカーだったが、普通車に比べると馬力がなく、山道ではようやく坂を登って行った。そして今のRAV4、エスティマ、プリウスと続く。

 さて10年前、還暦のお祝いとしてオープンカーを購入することにした。それは私が25年間遠出をすることもなく、仕事を一生懸命した自分へのご褒美としてである。車はレクサス“IS250C”。私にとっては初めての電動式ハードトップ車である。スイッチ一つでルーフが開く。この車になって出掛けることも多くなった。しかし仕事柄1時間で戻れる所までである。リタイアしたらのんびりとこの車で日本一周でもしようかと思いを巡らせている所だ。そうこれが最後の車になるだろう。だから大切に乗ろうと思っている。さぁ、今日もオープンカーにして風を感じながら遠出しようか。