私の庭は、100ヘクタール位はある。その広さは東京ドーム20個分位もある。端から端まで歩くと優に20分位はかかる。小川が流れ、近くには大河がゆったりと流れている。春になるとツクシが顔を出し、レンゲが咲き、ツツジも咲く。ウグイスなどの野鳥のさえずりでうるさい位だ。夏になると樹木の下のベンチに座り、心地よい風を受け、本を開く。夕方になるとビールの杯を傾け夕陽に乾杯する。秋になるとススキの中に月が出る。冬になると満天の星を仰ぎ星の多さを知る。

 これだけ広い土地を持ちながら税金は一銭も払っていない。脱税しているのではない。実はここは本当のことを言うと私の庭ではない。

 私の家から100mくらい南の方へ行くと、大淀川の河川に自然を利用した公園がある。そこに犬を散歩に連れていくのである。広大な公園であるが、利用しているのは数人に過ぎない。だからここを自分の庭と勝手に考えているだけである。

 ところが最近は自分の庭で気になることがある。それはこんな広い公園だがゴミ箱が一つも設置されていない。その為に遊びに来た人達がゴミを置きっぱなしにして帰るということである。決して捨てていくのではない。ゴミ箱がないので捨てるに捨てられないのだ。

 最初はあまり気にならなかったが、そのうち気になってきた。マナーの悪い人が多いなぁと最初は思っていたが、ゴミを置いて行く人も、内心はごみ箱があれば入れたいと思いつつ帰っていくに違いない。綺麗にして欲しいと心の奥底から思っている。何せここは私の庭なのだ。だがマナーばかり頼っていては、いつまでたっても綺麗にならない。

 しかし自分の庭なので、何とかやはり綺麗にして欲しいと思う。数日後良いアイデアが浮かんだ。それはとても簡単なことである。

 愛犬『ロキ』を散歩させる時、落ちている小さなゴミを拾って袋に入れて持ち帰るのである。ゴミといってもそんな沢山散らかっている訳ではない。飲み物の缶が4、5個、弁当の容器2、3個、タバコの空箱2、3個位のものだ。ゴミ袋一杯になってもたかが知れている量である。

 最初はゴミを拾うのがバカらしいと思っていたのが、最近は少ないと何かかえって淋しいような気がする。まるで魚釣りに行き、釣れた魚が少なくて帰るような心境なのである。

 やはり自分の庭が綺麗になるのは気持ちが良いものだと思っている時、スイスの青年達の話を知った。

 スイスの青年達は草花の種をポケットに入れ散歩に行く。散歩をしながら種を蒔くのだ。帰る時は落ちているゴミを拾って家路につく。そして数ヵ月後草花が花をつける。そうすることにより、自分の街を綺麗にしようとする人が競いあい、もっと街が綺麗になって住みやすくしようという訳だ。

 自宅の前の道路も、歩道も花壇も自分の庭だと考えたらどうだろう。そうすれば、もっと綺麗な街並みになることだろう。それは一人一人の心掛けで、簡単に実現することだ。