先日、自宅の引き出しの整理をしていたら、短くなった鉛筆が沢山入った箱を見つけた。5人の子供達が、小学生の時学校で使っていたものだ。その長さは長いもので5cm、短いものは3cm位しかない。
私が子供の頃は、こういう鉛筆に金属性の軸をつけ、ほんの2cm位になるまで使ったものである。モノを大切にする家内は、きっとこんなに短くなった鉛筆を捨てられずに、大切に箱に入れてとってあったのであろう。子供達もその母にならって、短い鉛筆を捨てずに箱にしまったに違いない。
箱の中に入っている鉛筆達を見ていると、まるで小さな子ども達がおしくらまんじゅうをしている様に見える。「又、私を是非使って下さい」と自己主張している様にも見える。20年近くその長さは変わらず、ずっとそこに身を潜めていたのだ。
私はメモや原稿を書く時、4Bや5Bの鉛筆を用いている。芯がやわらかいのでHBの鉛筆などに比べ、あっという間に短くなる。その為私の引き出しにも小指の先位の鉛筆が沢山入っている。短いと書きづらいので、次々と新しいのを注文し、それらはどんどん引き出しにたまっていく。
先日それをどうしようかと考えていたら、100円ショップで昔なつかしいあの金属性の軸を見つけた。あまりにも当時使っていたのと瓜二つなので感激し、今又使い始めている。
この豊かな現代と違い、我々が小さい頃は、モノに乏しく、貧しかった。それだけにモノを大事にする心と、最後まで使いきる知恵にあふれていた。ズボンなどはあちこち繕っていて、つぎはぎだらけだった。靴も裏底がすりへるまで使い、トイレットペーパーは今では考えられないが新聞紙だった。絵を書く紙も包装紙の裏などを使い、画用紙に描けるのは学校の図工の時間位だった。それもザラザラの紙質だ。
缶入りのお煎餅などを頂いた時は、開かないよう缶のフチに貼ってあるセロテープをはがし、小さな薬のビンに巻きつけておく。そしてそれを必要な時に再利用する。
デパートなどの包装紙は破かず、そのままきれいにたたんでしまっておく。箱などにかかっているヒモ、リボンなどはクルクルと巻いて、いつでも使えるようにしておく。
ヒバチで使った炭は、誰もいない時は灰の中に埋め、人が居る時に又灰の中から掘り出して使う。容器の空きビンなども捨てずに大きさによって分けて箱に入れておく。使い古した輪ゴムなども、柱にクギを打ってそれにかけておく。
給食で余ったパンなどはこそっと持って帰り犬にあげる。お茶ガラはバケツにとってあり、掃除の時それを床にばらまけば、ほうきで掃いてもほこりがたたず、又除菌効果もある。などなど…。現代の若者にとっては「えっ?」と驚くことばかりだろう。