外来でお母さんを診察しようと私が机の前に座ると、
一緒に来た小さい子供がお母さんにしがみつく。
ちょっとでも目が合えば目をそらし、お母さんの顔を見る。
体や頭に触れようものなら、身を縮めて逃れようとする。
それは私の白衣が怖いのだ。白衣を見ただけでパブロフの条件反射、
つまり白衣→医者→注射→痛いという図式が出来ているらしい。
 しかもお母さんの中には、ちょっとでも子供が泣くと「お医者さんに注射してもらいますよ。
だから泣くのをやめなさい。それともやっぱり注射してもらおうかな」と脅かすものだから、余計に泣く。
白衣→医者→注射→痛い→泣くという循環図式が出来上がる。
もし注射というものが病院になければ、小さな子供達も泣かずに済むのだが…。
注射器の歴史というのはまだ日が浅い。
1852年フランスの医者シャルル・プラバーズによって注射器は発明された。
我が国では1865年から使われているというから、まだ160年位しか経っていない。
 30年位前までは針は使い捨てではなく、一回一回熱湯煮沸して再利用していた。
そして何回かすると針の切れ味が悪くなるので砥石で研く。
外来が終わるとみんなで研く。その研き方が上手い人はみんなから尊敬されていた。
 注射器のピストンの部分もプラスティックではなくガラスの筒であった。
これもよく血液を洗い落とし、そして煮沸して再利用していた。
今では感染の心配があるというので、どの病院でも針も注射器もディスポになり、
使い捨てが当たり前になってきた。
 さて、最近日本では『痛くない注射』というのが実際使われているという。
その針は先端の穴の直径が0.08㎜、外径0.2㎜、根元の穴の直径0.25㎜、という考えられない細さで、
とても簡単には作れない小ささである。
開発に3年もの年月を要したが、2005年7月にようやく発売にこぎつけた。
『蚊の針』のような注射針の完成である。
 それは糖尿病患者のインスリン注射の為に作られたものだ。
糖尿病の方は自分でインスリンの注射を1日4~6回打つ。
その度に痛い思いをしなくてはならない。
だが刺したのが分からない様な針だったら苦痛がないのでインスリン注射も苦にならない。
糖尿病は大人だけでなく子供にも発症する。だから特に子供達は大喜びする。
 もし、注射器から針がなくなったら、病人の苦痛も不安もかなり軽減するだろう。
医者の私でさえ、患者の採血の指示は平気で出すのに、自分の血をとられるのは嫌だ。
大きな針が自分に向って突き出されるだけで、身ぶるいしてしまう。
注射器の針がなくなって、小さな子供達から好かれる医者になってみたい。それが私の夢だ。