昨年亡くなった永六輔は、生前次のような事を言っていた。「人間は二度死ぬ。一度目は本人が亡くなった時。そして二度目は本人の存在が忘れられた時」。
確かにそうだ。亡くなった時は誰でもその人が亡くなったという認識をする。その為にその人を忘れないようにと墓を建て供養する。そのようにしてその人を忘れないようにしているのだ。その人を思い出す為にお盆や命日にその墓を訪れ、その故人を偲ぶのだ。しかし時が流れ、何十年もするとやがてそれは忘れさられてしまうということになる。
そんな事を考えていたらふっと思った。産科医の仕事は赤ちゃんを取り上げることだ。お母さんにとってのその日は一生忘れることの出来ない日になる。取り上げられた子どもも、毎年誕生日が来る度に生まれた時の様子を聞くことだろう。
本人にとっても一生で一番大事な記念日なので、その日を忘れる事はないだろう。その時きっと取り上げてくれた先生のことも想いだすはずだ。つまり人生のスタート、その日取り上げた先生のことは一生死ぬまで忘れられないのではないか。そうすると産科医の二度目の死は、遅くとも何十年も先という事になる。
先日、新聞にある記事が載った。取り上げた産科の先生の話である。それは次のようなものだ。(一部略)
『私を取り上げて下さった産婦人科の先生に会いに行った。先生は何十年という長い間、赤ちゃんを取り上げるという仕事をどんな思いで続けてこられたのだろう。きっと、想像もできない程の数の赤ちゃんを、先生は生涯をかけて取り上げてこられたのだろう。私も沢山の赤ちゃんの中の一人である。私は先生のおかげで、今ここにいる。
弟が生まれた時の喜びと感動は一生忘れられないだろう。母は、大きなお腹をかかえて仕事をしており、とても大変そうだった。それでも、母は嬉しそうで、家族全員でお腹をなぜたり、話かけたりし、弟の誕生を心待ちにしていた。そして陣痛が来て病院へ急いだ。その日も先生は、その一人の赤ちゃんのために「一生懸命に働いていた。母を励ましたり、ときには厳しい言葉を言ったりして弟の誕生に力をつくして下さった。
そうして生まれた時、先生の厳しかった顔は一変して穏やかで優しい顔になり、生まれたばかりの弟をだきあげ、「やあこんにちは」とおっしゃった。それは、その十年前、六年前に生まれた私や妹の時も何も変わらず同じだったと母から聞いた。そして、私も妹も生まれて初めて抱っこして下さったのも先生で、初めて聴いた声も先生の声だと。母が先生に「先生には出産の際だいぶ怒られました」と冗談まじりに言ったら、先生は真剣な顔で「大切な命がかかっているからね。お母さんがにくくておこっているんじゃないんだよ」とおっしゃった。
先生がとり上げられた多くの命一つ一つに喜ぶ家族がいるのだ。そして、先生が毎日出会う赤ちゃんは皆、違う環境で育ち、違う人生を歩み、そこから新しい命が誕生すると思うと本当にすごいと思う。
産婦人科の先生との出会いをきっかけに、私はたくさんの命の中の一つ一つについて深く考えることができた。命一つ一つに願いがあり希望があり、それを大切に思う人がいる。それを思うと、だれしも周りから差別されたり、悲しい思いにさせられたりすることがあってはならないと思う。』
そう考えると、産科医という職業は恵まれている。何せ本人が亡くなった後も、その取り上げた先生のことは忘れないということだろう。つまり二度目の死は、取り上げた数だけあるということだ。産科医になって良かった。今強くそう思う。