産婦人科というのは、医療の中でもちょっと特殊な科である。というのも、生を受ける現場に立ち会えるのは産婦人科医しか出来ないからだ。それは医者という仕事の中でも、産婦人科医だけに与えられたものである。
しかしその為、母と子の命を同時に守らなくてはならない。それと24時間、365日、休む事は許されず、寝ていても起こされる事はよくある。それ故に最近の若い医師達の産婦人科離れが起きている。お産が予定通りにいくとは限らず、結果が悪いと患者や家族に恨まれたり訴えられたりするという事もよくある。
そういう産婦人科の現状があるが故に、家族からのお礼の手紙をもらうと産婦人科医になって良かったと心から思う。それこそ産婦人科冥利に尽きるのである。先日、お産した方から手紙をいただいた。
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私が今こうして主人と2人の子供に恵まれ、幸せに過ごしているのは院長先生のお言葉があったからです。3年前、主人と交際している時、妊娠している事に気づき、どこの病院に行こうか悩んでいました。友達に相談してみると、友達の家の近くに産婦人科があるという事で、そこの病院に行きました。それがこちらの病院でした。まだ自分は19歳で親にも言えず、どうすればいいか分からず「妊娠しています」と聞いた時は動揺を隠せませんでした。
3回目に病院に行った時、院長先生に「中絶します」と言いました。でも私の中ではまだ迷っていました。すると院長先生は私の気持ちを察知されたみたいで、話をしてくれました。話の内容はちょっときつくて、落ち込んでしまいました。でもその言葉のお陰で中絶する事をやめて、主人と結婚して子供を生もうと決心する事が出来ました。
今では、家族4人で主人と結婚出来てとても幸せに思っています。あの時、院長先生に出会えてとても良かったです。見ず知らずの私に厳しいお言葉をありがとうございました。先生はお忙しく覚えてないかもしれませんが、私達家族は先生との出会いのお陰で今があります。ありがとうございました。
又、6年前に生まれた赤ちゃんのお祖母さんからも手紙を頂いた。この方の娘さんは3回続けて流産。その後、当院を受診した。それからほどなく妊娠をし、今度こそという思いがあり、こちらも注意深くフォローしていこうという事にした。その後10ヶ月までお腹の中で育ち、無事出産をされた。2番目は30週で破水し、そのまま医師会病院での出産となった。3番目は順調に10ヶ月までいき無事出産。4番目の子の時は、妊娠7ヶ月の時に重症妊娠高血圧症(妊娠中毒症)の為、宮崎大学病院で緊急帝王切開により生まれた。赤ちゃんの体重はわずか720g。その後、幾度の試練を乗り越え、今年ようやく小学校に入学したという手紙である。
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突然お手紙差し上げて申し訳ございません。谷口先生にお礼が申し上げたくペンを取りました。平成14年12月に重度の妊娠中毒で医大にて700gの子供を出産しました娘の母親で、祖母でございます。
その孫が今年小学校に入学しました。身体はまだまだ小細くランドセルで隠れてしまいそうですが、元気に育ちました。入学式にはランドセルが重いと言って泣いたそうですが、こんな姿が見られるのも当時、母子共に危険な状態で先生の的確なご判断をいただき、又多くの医療機関にお世話になりました事を厚く御礼申し上げます。
孫も幾度となく生死を乗り越え、幼稚園も体力をつけられるような園へと通い、今では竹馬・飛び箱などを得意そうに見せてくれます。
これからもゆっくり見守ってやりたいと思っております。ありがとうございました。
こういう手紙を読み返してみると、産婦人科医になって本当に良かったという気持ちにさせられる。これからも辛い事や困難な症例にぶつかる事もあるだろう。そういう時のお守りとして、こういう手紙は大切に取っておこうと思う。