1985年(S60)に開業して昨年38年目に入った。その間殆ど一人で分娩に立ち会ってきた。分娩はいつ始まるか分からない。外出したら5分後に呼ばれたり、ゴルフの途中で呼ばれたり、会食の時に急に呼ばれたり、家で寛いでいる時に呼ばれたり、お風呂に入っている時に呼ばれたり、いつ呼ばれるか分からないのである。

 勿論、夜寝ている時も起こされる。電話があれば10秒以内に受話器を取り、3分以内には分娩室に駆けつける。だから寝られる時に寝ておかないといけない。その為に昼寝は必須である。昼食をとり前の日の睡眠不足を補充したり、或いはその日の夜中に起こされそうだったら昼のうちに早めに睡眠を補充したりしておく。

 しかし困るのが、夜寝る時にもしかしたら夜中に分娩があり起こされるかもしれないと落ち着かないことである。又救急のことが起こり救急搬送することもある。それで落ち着いて眠れないのだ。その為に3時間ごとに目が覚める。まるで大草原で暮らしているいつライオンなどに襲われるかもしれないヌーやシマウマみたいな生活になっているのだ。

 そんな生活にようやくピリオドを打った。何故なら分娩を取り止めたからである。これで夜中に起こされることもない。ゆっくり眠れるとほっと安心したのも束の間、眠れなくなったのである。その理由は、一度横になったらそのまま朝まで眠れないのではないか。或いはもし眠ってしまったら朝にもう目が覚めないのではないかという恐怖である。夜きちんとゆっくり眠ろうと思っても緊張して眠れないのだ。そうすると寝不足が続くのである。

 仕方がないので知り合いの薬剤師の方に相談したら「最近出た新しい睡眠薬があるのでそれを試されたらどうですか?」と勧められた。そこでとりあえずそれを服用してみることにした。何せ初めての経験である。どうなるかドキドキしながらベッドの中に入った。ところが殆ど眠くならない。しかし暫くすると気が付かないうちに寝落ちしていた。

 説明書に“今までの睡眠薬とは違うのでちょっと違和感があるかもしれません”と書いてあった。今まで睡眠剤など服用したことがないのでそう言われても只3回とも怖い夢を見た。詳しい内容は覚えていないが、とにかく怖くて大声を上げそうになっていたのは間違いない。そこで服用を止めた。そうするとそういう夢も見なくなった。多分その薬のせいなのだろう。

 分娩を止め1年が経った頃から、横になったらようやく睡眠がとれるようになった。夜中に起こされずにぐっすり眠れるということがこんなに嬉しいこととは…。産婦人科医という仕事をしていたから分かる嬉しさである。