開業して30年経った。最近、私が取り上げた赤ちゃん達が次々とお産をしてくれる。それは鮭が生まれた場所を目指し、そこでお産をするのと似ているのかもしれない。しかし、とにかく何十年も前に生まれた赤ちゃんがこんなに大きくなり、又次の命をバトンタッチしていく姿には目が潤む。
 取り上げた子達は生まれた時に会って以来である。その間に色々な人と出会い、素敵な伴侶を得て、お産の為に来院するのだ。そして再会した時にはもう立派なお腹の大きな妊婦さんである。すっかりその姿は変わっているので、会った時は全く誰だか分からない。本人が母親同伴で来られると、初めて「あぁ、あなたの娘さんですか。大きくなりましたネ」と話が弾む。
 お母さんは勿論その間に年を重ね、素敵なナイスミドルになっている。それでも昔の面影があるので分かるのである。
 ほとんどの母親は自分の娘の出産に立ち会う。固唾を飲み、目の前で生まれる赤ちゃんを今か今かと待つ。無事にオギャーと産声を上げるとホッとした表情で赤ちゃんを見つめている。そこには自分が何十年も前に出産した時のことが思い出されるのであろう。立会われたお母さんはみんな涙を流され、孫の誕生を喜ばれる。まさに命のバトンタッチが出来たという安堵感もあるに違いない。
 その時私はお母さんに「おばあちゃん、お孫さんが生まれて良かったですネ」と声を掛ける。すると母親はキョロキョロ回りを見回し「おばあちゃん?それ誰?」という顔をされる。そこですかさず「今産んだのはお母さん。あなたはおばあちゃん」というと照れくさそうに「そうですネ、ついにおばあちゃんと呼ばれるようになったのですネ」と時の流れを初めて理解する。
 そう、あれから何十年もの歳月が流れたのだ。2代に渡り赤ちゃんを取り上げる自分も同じ気持ちである。妊娠初期に超音波で米粒位の大きしかなかったモノが大きくなり生まれ、そのモノから又生まれる命というものは本当に素晴らしいものだとつくづく思う。
 最近もっとびっくりすることが起こっている。それは3代当院で生まれているケースがあるということだ。それはどういうことなのか?
 実は私の父は産婦人科医で昭和17年に当クリニックがある上野町で開業し、昭和45年まで「谷口産婦人科病院」を開業していた。その26年間の間に父が取り上げた人達が「たにぐちレディースクリニック」でお産をし、その子が又生まれてくるのである。つまり父と3代に渡って赤ちゃんを取り上げていることになる。そう思うと産婦人科医というのは因果な商売だと思う。
 もし私があと10年仕事を続けることが出来れば、もしかして4代に渡って子どもを取り上げることも可能なのかもしれない。その時の光景を想像するだけで胸がワクワクしてくる。
 因みに、親子2代続けて取り上げたおばあちゃんからは「この子が大きくなったら、又お世話になりますから、それまで元気で仕事続けていて下さいネ」と言われる。生涯現役を宣言している私は、そういう声を聞くとついその気になってしまう。苦労も多い産科の仕事だが、体が続く限り頑張って行こう。そういう気持ちで毎日仕事をしている。