「ブリキの太鼓」という映画を観た。その最初のシーンは、何も映し出されない真っ黒なスクリーン。その中から人の声が聞こえる。「そう、頑張るのよ。もう少しだから、もう少し頑張って」という声だ。

 すると突然部屋の中が上下逆に映し出される。その後カメラが180度回転し、白いカーテンで仕切られた部屋が映し出され、中年の女性二人が顔をヌーと出すのだ。そして「よく、頑張ったわね。可愛いわ。とても元気な男の子よ」という声とともに生まれたばかりの赤ちゃんが映し出される。

 そう、そのシーンはお腹から出てきた赤ちゃんから見た風景を表現していたのだ。丸々と太ったその子は、眩しそうな目でこちらを見ている。そりゃ、そうだ。真っ暗な闇の世界から光溢れるこの世に出てきたのだから眩しいのは当たり前だろう。

 さて、人間には誰でも生まれた時の記憶があるという。中にはその時の様子を鮮明に覚えていて、「急に暗い所から明るい所に出たら助産師の顔が見えた」などと言う人もテレビ番組で紹介されたこともある。だが大半の人間は「その時の記憶を思い出せ!」と言われても思い出すことなど出来ないだろう。

 当院では出産後、生まれたばかりの赤ちゃんをビデオに撮っている。オギャーと泣き声を上げたまさにその瞬間から映像として残せるのだから、こんなに記念になるものは他にない。それを生まれた時から退院するところまで編集して退院の時に手渡す。というのも家に帰って、おじいちゃん、おばあちゃんをはじめ、生まれた時の様子を親戚に見せてあげれば喜ぶだろうという気持ちからそうしていたのだ。

 ところが、予想外のことが起こった。子どもが1歳になった誕生日にそのビデオを見せたら、ほとんどの子どもが食い入るようにそれを見たという。それからはお気に入りのアニメのビデオなどには全く興味を示さず、そればかり見ているという。

 ところで、当院で生まれた赤ちゃん達は、当院のことを『コアラ病院』と呼んでいた。それは開業以来うちの病院のシンボルマークがコアラで、病院の入口の所に大きな看板があり、そこにピンクのコアラが描かれていた。又、病院の中いたる所にコアラのシールが貼ってあったからだ。

 その後生まれた赤ちゃん達が大きくなり、病院の前の道を通る時、両親が「ここがあなたの生まれたコアラの病院よ」と言っていたのだそうだ。それで子ども達も、うちの病院の前を通ると口癖で「コアラ病院」と言うので、コアラ病院というアダナがついたのだ。

 ずっと前スウェーデンの方がお産したことがある。元気な男の子だったが、先日どうしても自分の生まれた病院が見たいと、スウェーデンからわざわざ来られたのにはびっくりした。もうその生まれた男の子も12歳になり、日本でいうと中学生になったばかりの年齢だという。

 だが18年前、今の上野町へ引っ越すのを機会に、コアラのシンボルマークを廃止した。前の病院は壊され、跡形もなくなり空地になった。ここで赤ちゃんを産んだお母さん方や子ども達は、そこを通る度にとても淋しくなったと溜め息をついていると噂で聞いた。

 人間誰でも自分のルーツを探したがるものである。自分の親のルーツを知りたいのと同じように、生まれた所がどんな所だったかと知りたいのは当たり前のことである。例えば私が生まれたところは、今のこの上野町のクリニックの敷地の中だが、調べてみたらその生まれた分娩室のあったところの真上に、私の寝室がありベッドが置いてある。父は昭和17年、今の“たにぐちレディースクリニック”がある上野町で開業し、私は父の病院で昭和24年に産声を上げたのだ。

 18年前に引っ越すまで、あれほどの不眠症であった私がぐっすり眠れるようになったのも、自分が産声を上げた場所の上で眠るようになったせいなのかもしれない。きっとそうだ。

 世界広しといえども、自分が産声を上げた場所でグーグー寝ている人なんてまず居ないに違いない。そう考えると、私が世界で一番この世で生まれた所を意識して生きている人間なのかもしれない。

 皆様も時間があれば、是非自分が生まれた土地を訪れてみるといい。きっと何か生きるヒントというのをそこから得るかもしれない。