時々ふと不思議に思うことがある。例えば食べる時の道具。どこの家庭でも箸とフォークとスプーンは置いてあるだろう。日常茶飯事にそれらを使って食事をしているはずだ。多分箸はお父さん用、お母さん用、子ども用と最低人数分はある。食事の時自分専用の箸を用いる。もし間違って自分以外の人の箸を使って食べているのに気づくと急に「しまった」と思うのと同時に慌てて洗って元の箸立ての中に入れるだろう。もしそこに当人が居ればそっと知られないように洗うはずだ。

ところがスプーン、フォークなどは各自自分のものをもっているという家庭は皆無に近いだろう。何故同じ食べる道具なのにこのように差があるのだろうか。それは西洋人と日本人ではちょっと習慣が違っているからだろう。一口でいうと日本人というのは自分のものは自分のもの、他人のものは他人のものという区別を食事の中で習う。外国人が来て一番難しいのは箸の使い方だという。握り方も難しいのだろうが、それ以外にも食卓にある食べ物のテリトリーをどう考えるかということに頭を悩ます。つまり自分の箸で取るか、取り箸で取るかである。

 話は変わるが、コロナ感染者が増え、日本人の潔癖症に拍車がかかっている。人混みの所では必ずマスクをし、レストランや居酒屋でも透明のアクリル板で仕切られてしまっている。熱々のカップルでさえその仕切り板を介して会話している。スーパーなどの店の前には必ずアルコール消毒台が設置してある。しかし見ていると半数位はアルコール消毒せずに入店する。しかし中には神経質な人がいて、何回も手指をアルコール消毒し、その後備え付けのハンドペーパーで何回も拭いて中に入る人もいる。先日もそのハンドペーパーを無造作に2,3枚引きちぎるように取り出し、店に入っていく中年の女性がいてちょっとびっくりした。

昔は気にもしなかったのだが、最近はスーパーなどで買物する際にその商品を手に取る人のことが気になる。よく見てみると欲しい商品を手に取った後それを戻し、その横にある同じ商品を又手に取るのである。それは1回だけでなく数回繰り返される。逆にいうと手に取ったらそのまま買物カゴに入れる人などは皆無に近い。手に取ってもそれを買わないでそのまま陳列棚に戻す人も沢山いる。

そういう行為が売り場では何十回と繰り返されているのだ。それがラップに包まれた魚や肉などは直接食品に触る訳でもないので気にならない。しかしリンゴや梨、ミカン、キウイなどは皮を剥くとはいえやはり気になるものだ。私が神経質なせいか、或いはコロナ菌が付いているのではないかという心配性なのか分からないが気になるのである。まぁそう言ってもそんな心配をしていたら何も食べられなくなる。いつまでこのような感染症予防が続くのであろうか?もしかしたらずっとこの状態が続いていくのかもしれない。

私が小さい頃、父がよく言っていた。「果物などを食べる時は流水(水道水)でよく洗って食べなさい。そうすればお腹を壊すこともないよ」。大学卒業後、細菌学教室に在籍していた父は、やはり感染というものに敏感だったのだろう。やはり清潔にするというのは大切なことだということを私に教えておきたかったのに違いない。その父の教訓は今の時代にも言えることだ。