開業する際、大きな六角形の掛け時計を頂いた。居間の壁にピッタリの大きさだったので、ちょうどテレビの後の壁にぶら下げた。その時計は居間のどこからでも見えるので、家族全員その時計を見て時間を知ることが出来る。

 ところがそれから4~5年して、少しずつ時計の針が進むようになった。それも不思議なことに、どんどん進むのでなく、5分進みそれ以上進まないのだ。5分進んだ時計に私はイライラしているのだが、家族は余り気にしない様子だ。家内なんか、5分進んでいると出掛ける際ギリギリと思っても5分得するから、かえって都合が良いと言い出す始末だ。

 そのうちに台所の時計、洗面所の時計も少しずつ狂ってきた。台所は3分遅れ、洗面所は3分早い。どれが正しいのか分からないので、朝はテレビの画面で時刻を知るのだが、午後になると画面の時間は表示されないので正確に分からない。

 仕方ないので、テレビの下に置いてあるDVDプレーヤーの時計を見なくてはならない。その文字が小さいので、近くまで行かないとよく見えない。だからわざわざそこまで行かなくてはならないのだ。

 家族は2、3分のずれなど気にならないらしいが、私にはどうしても我慢出来ないことなのだ。私の性格としてはやはり同じ時刻の時計を見ながら行動したい。

 そこで、家の中にある全ての時計を、正確に時刻合わせをすることにした。家族から「何でそんなに全部の時計を合わせないといけないの?」と尋ねられるが、私から言わせると、「何でそんなに時計の時刻がバラバラで平気で居られるの?」と問いたい気持ちなのだ。

 実際合わせてみると、実に気持ち良い。どの時計も同じ時刻を示しているというのはやはり気持ちの良いことなのだ。

 それから数日して時計を買い求めることにした。売場で色々見ていると、値段が高くなると、自動的に時刻を秒単位で合わせてくれるメカニズムになっている。それは電波時計だからだ。ところがその全ての時刻はだいたい合っているのだが、その秒針は同じではない。これではどれが本当なのか分からない。つまり時計としての役割をはたしていないと言わざるをえない。私としては今何時何分なのか正確に知りたいのである。

 それは理由がある。何故なら赤ちゃんを取上げる仕事をしているからである。

 例えば23時55分になると1秒1秒が気になる。それから5分未満に生まれるのと、その後に生まれるのでは誕生日が1日違ってくるからである。

 今まで何回か23時59分になり、あと一息で生まれるかどうかで誕生日が変わるのになぁと思ったことがある。その時は秒針が凄く気になる。我々は生まれた時にすぐ時計を見るのは習慣になっているとはいえ、こういう時は特に慎重になる。だから生まれた瞬間スタッフ全員で「〇時〇分生まれました」と確認しなくてはならない。だから秒まで正確な時計が絶対ほしいのだ。

 さて、今年は平成から令和という元号になった。だから4月30日に生まれた赤ちゃんと、5月1日に生まれた赤ちゃんは元号が違う。ほんの僅かの差で平成、令和の生まれの烙印が押されるのだ。その結果平成最後に生まれた赤ちゃんと呼ばれたり、令和最初の年に生まれた赤ちゃんと呼ばれたりしてしまう。

 年末は1日違いで干支が違うし、4月2日を境にして学年が一学年違う。だから正確な時間というのは、産婦人科医にとっては重要で、それ故に時計の時刻が気になるのだ。

 人間は体の中に体内時計というものを持っているという。そのリズムよって人間は生かされているといっても過言ではない。それは自分自身では気づかないうちに時を刻んでいるのだ。だからその体内時計を勝手に他人にいじられ、変えられるというのはどうやら人というものは嫌うらしい。それが私は人と比べて極端に敏感なのかもしれない。

 6月10日は『時の記念日』。せめてこの日だけは家中の時計の時刻を合わせてみたらどうだろう。きっと気分がすっきりする。