人生には一生のうち、少なくとも3度は人に集まってもらう時がある。最初は出産の時。二度目は結婚式。三度目は葬式である。
生まれた時や結婚式は自分でもその様子をビデオなどで知ることができるが、葬式はそうはいかない。遺言でも残さない限り自分の希望を叶えることはできない。
「死」は「生」の延長上にある。だからこそ自分のフィナーレを飾るには相応しいお葬式をしたい人や、慣習に従うのではなく個性的にやりたい人が増えてきている。その背景には、少子化やお一人様が増え、葬式の時に家族を当てに出来ないという社会状況や、死んだ後まで目ん玉が飛び出るような全額の葬式費用を心配しなくてはならないという状況がある。
それを実現したのが「生前葬儀契約」である。95年7月に設立された「日本FAN倶楽部」という会社は、生前に葬儀の場所、方法、金額など細かく決め、訃報を通知する必要がある人に電話連絡を代行する。会費は1万円。全国の葬儀者100社と提携し、どこでもいつでもできるようになっている。
94年の「現代日本人のライフスタイル」調査によると、自分の葬儀などの方法について予め決めておくことに共感を覚えるという人は半数を超え、30代では66%の人がそうすべきと考えている。
全日本葬祭業協同組合が行った95年の葬式に関するアンケート調査によると、「形式すぎる」「世間体や見栄にこだわりすぎ」などと葬儀に対しての注文は厳しい。その他不要と思うものは「香典返し」「戒名」などこれも又現状に批判的な人が多いことが分かった。
人生の最期に着る服といえば、殆どの人が白い死に装束であろう。だが、せめて最期だけは自分の好きなデザインでオシャレをしてみたい。そんな人の為に死に装束をデザインし製作してくれる会社がある。価格は10万から。本人と相談しながら製作してくれそうだ。
死んで残るもの。それは骨だ。だからせめて骨を入れる骨壺は自分の気に入ったものを考えている人も多い。東京の江戸屋骨壺店では骨壺だけ販売している。備前、信楽、有田などの全国有名窯元の骨壺を常備200点置いている。その中でも20万円前後のものがよく売れているそうだ。使う前は美術品として、あるいは花瓶として楽しむこともできる。
ところで映画「マディソン郡の橋」を憶えているだろうか。息子たちが母親の意志を受け、思い出の橋から母の遺灰をまく。外国ではよく行われている方法で、中国の周恩来は長江に、オペラ歌手のマリア・カラスはエーゲ海に散骨された。インドではガンジス川に無数の人の骨が散骨されている。日本でも7人に1人は散骨など自然葬を希望しているそうだ。最近では散骨を引き受ける葬儀社も増えてきた(因みに料金は10~30万円)。又、「移動式葬儀車」というものが作られた。腐敗を防ぐため、棺の中も冷やすことも可能で、どこでも葬儀が出来るのが特徴だという。
人間最期のフィナーレをどうするか。生きているうちに死後のシナリオを作るのが当たり前の時代がいずれ来るかもしれない。その時、人は結婚式の打ち合わせのような気安さで生前契約をするのだろうか。