私の夢のパターンは2通りある。一つは突然知らない町にいて、そこをウロウロしている。そして気が付いたら、そこは宮崎からずっと離れた所なのである。

 慌てて自分の病院に電話すると「何で黙ってそんな遠い所に出掛けるんですか。留守番の先生も居ないのに、何かあったらどうするつもりですか。もうすぐ患者さんが入院して来るというのに…」という看護師の声がする。

 そんな事言ったって、私が行きたいと言って行った訳ではなく、気が付けばそこにいるのだから仕方ない。慌ててそこからの飛行機や電車の時刻表を見ると、もうその日の便は一つもなく、明日しかないという。「そんなバカな…。じゃ病院で何かあったらどうするの!」と叫んで目が覚める。

 もう一つの夢のパターンは、街を歩いていると、こりゃシャッターチャンスだという場面に出合う。シメシメ、ここでパチリと写真を撮ってコンテストに出せば、一等賞は間違いないとほくそ笑んでカメラを取り出す。ところがその中にフィルムが入ってないのである。「ああ、何でこんな大事な時にフィルムがないの」と叫ぶ声で目が覚める。

 父は無類のカメラ好きだった。ペンタックスとコンタックスというカメラを、いつも首にぶら下げては、色々写真を撮る。そのほとんどは家族の写真である。今ではカラー写真というのは当り前だが、昭和40年代の後半までは白黒写真がほとんどだった。年に一回位はカラーフィルムを使って写真を撮る。その時だけは家族全員着飾って写真に納まるのだ。

 自分が生まれて初めて撮った写真がアルバムに貼ってある。小学校3年頃だった。宮崎神宮で父と母を撮ったのである。その日は小雨の日だったのをよく憶えている。その写真は見事に手ブレしているのであるが、私の思い出の一枚になっている。

 高校の時にオリンパスDというコンパクトカメラが発売された。今のコンパクトカメラ位の大きさでフィルムはハーフサイズ。つまり普通のフィルムのネガの半分の大きさになっている。24枚撮りだったら、48枚も撮れたのである。

 しかもそれまではシャッタースピード、しぼりというのは、その日の天気や部屋の明るさによって自分で設定しなくてはならなかったが、そのカメラはそれを全部やってくれるというのだから画期的だった。

 大学に入り、アグファマチックというミニフィルムを用いるカメラを買った。今の使い捨てカメラ位の大きさで、ポケットに入るので何処へでも持って行け便利だった。但しフィルムが小さいので、引き伸ばしすると粒子が荒れているのが欠点だった。

 医者になっても、カメラを首からぶら下げて海外まで写真を撮りに行った。韓国に行った時などは、カメラを6台もぶら下げて行ったので、税関でスパイの疑いで別室に連れて行かれ取り調べを受けた事もある。

 開業してからは、専ら生まれて来る赤ちゃんを撮りまくっている。その数は数万枚にもなり、アルバムも百冊近くなっている。5年前には「生まれてくれてありがとう」と生まれたばかりの写真をパネルに貼り写真展も開いた。来場された方々は生まれたばかりの赤ちゃんの表情を見て、頬が緩んでいた。やはり赤ちゃんの顔は人を癒す力があるらしい。

 最近はデジカメよりスマホで写真を撮る人が多くなった。8割以上の人がスマホ派なので、デジカメが殆ど売れなくなっているという。確かにスマホの方がコンパクトだし、画像も綺麗だ。しかもそのままスマホを通して写真を送ったり、加工したりする楽しみもある。嵩張ったデジカメは遠慮されつつある。

 しかし何十万円もするミラーレスのカメラは若い女性にも人気がある。やはり拘る人にはその様なカメラがぴったりである。

 私はといえば、デジカメを3台も持っているのに、あまり活躍していない。やはり持っていくのが面倒だというのが理由だ。だからスマホでパチリパチリと撮りまくっている。その数は人に見せるとびっくりする位他の人より数倍多い。

 スマホを使うようになって、夢の中で「フィルムが入ってない!」と叫ぶこともなくなった。それと同時に知らない街で電話をする夢も見なくなった。ということでもう正夢を見ることもないだろう。これでゆっくりと眠ることが出来る。めでたし、めでたし。