古希を過ぎるとそろそろ死を意識してもおかしくない年齢だ。男性の平均寿命が今82歳位だというから、それからいくと後だいたい10年経ったら死を迎える計算になる。我々団塊の世代(昭和22~24年生まれ)で1番出生数が多いのが昭和24年生れ、今年年男・年女を迎える我々世代だ。同年に生まれた赤ちゃんは270万人。元気でいるのが240万人。すでにもう30万人の人が鬼籍には入っている。その中には、学校で親友だった人も沢山いる。考えてみれば、もうすでに私達の世代は確実に最終コーナーにかかっているのだ。そこで色々な事を最近考えるようになった。

 山田風太郎の著者に『あと千回の晩餐』というのがある。その冒頭に「いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う。といって、別にいまこれといった致命的な病気の宣告を受けたわけでもない。72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴というべきか」と書いてある。又開高健の著書に『最後の晩餐』というのがある。いろんな食の話が載っているのであるが、そのタイトルは意味深で、例えば死刑囚が死刑の前に食べるのがまさに最後の晩餐であるというのは誰でも分かる。しかし突然、船が転覆して海に投げ出され、漂流している時も、何とか助かりたいと思うと同時に、きっと最後に食べた食事の事を思い出すのではないか。

 あるいは元気にしていた人が突然、脳出血で植物状態になった時も、周りの人達が「亡くなる前に美味しそうにステーキを食べましてね」と周りで語り合うかもしれない。

 実際私の尊敬する先生が、大好きな甘エビを食べた際、エビが喉につまりそのまま窒息して亡くなられた話を聞いた時、その苦しさを思うと同時に、最後に大好物のエビを食べられたというのがせめての慰めだったという思いがあった。

 そういう色々な事があり、最近では食べる時、これが最後の晩餐になるのではないかと思いながら食べるようになった。なったというよりも、なってしまったと言った方が正しいかもしれない。それ故に、食事をする時には「いただきます」と以前より大きな声で言うことにした。もしかしたらこれが最後の「いただきます」になるのではないかと思うからだ。

 夕食時、まず軽くビールで喉を潤し、それから待ちに待った晩餐が始まる。御歳暮に貰った肉を解凍し、たっぷりニンニクを入れてステーキにして食べた。火曜日はスーパーに行ったら、地獲桜鯛があり、それを1匹そのまま買って来て調理してもらった。水曜日はスーパーで、長崎で獲れたという天然寒ブリのブロックが売っていた。あまりにも美味しそうだったので、そのブロックのまま買い、お皿に盛り付け食べた。次の日は息子がデパートで美味しそうな餃子を買って来たというので、それを焼いて食べた。

 そんな毎日を送っているうちに、ズボンがきつくなった事に気が付いた。大きく息を吐き出した後でないと、ズボンが履けなくなってしまった。最初は気のせいだと思ったが、そうではなかった。恐る恐る体重計に乗ってみたら何と2㎏も増えていたのだ。

 最後の晩餐と言いながら、食い意地が張っていた自分が何か恥ずかしく、又おかしかった。というのは、そう思いながら毎日こうやってピンピンと元気に生きているからだ。もうこれからは最後の晩餐と思いながら食べるのはよそう。でもいずれ最後の晩餐の時が来るだろう。一体、私の最後の晩餐はいつで、食べる物も何になるのだろう。いつも気にしながら美味しく食事をしている。