40年位前まだ私が若かった頃。カメラを担いで世界中を旅した。それもエジプト、シルクロード、アフリカ、インド、ネパールなどの秘境ばかりである。その時そこで生活している人々をカメラに収めた。先日当時の手記が見つかったのでそれをお伝えしたい。

 眼下に広がる広大な砂漠が、まるで大海原のように美しい砂紋を作り、ジリジリとした太陽が足元から炎に燃えている。ここはアフリカの地にある大地にある太古エジプト。国土の97%が砂漠であり残り3%の土地に人がひしめいて生活している。ナイル川がエジプトの砂漠を引き裂くかのように一筋に流れている。その回りだけ緑があり、どこまで行っても砂・砂・砂。一体人々はどのような生活をしているのであろうか。

 紀元前4500年頃にはエジプトは目覚め始める。毎年洪水を繰り返して、ナイル川は豊かな泥土をナイル川流域にばら撒き、そこで人々は農耕を営んだ。古代エジプト人の天文、自然、機械に対する知識というものは現代でも引き続かれているが、その最たるものがやはりピラミッドであろう。ピラミッドはギザに3つあり威容をほこっている。その中でもクフ王のピラミッドは高さが137mもあり、世界で最も大きい。使われた石の数は何と230万個。その石の一辺の長さが2.2mもある。遠くから見ると丘のように見えるが近寄ってみるとまるで山である。頂上まで登ろうと張り切っていたのであるが、下から見上げるとかなり急斜面で、しかも石の一つ一つが胸の高さまでありとても登れそうにない。

 入口は北面にあり、マムーンという人が隠された財宝を盗むため開けたのであるが、その後創建時の入口が見つかったにも関わらず、現在もまだ盗難口を入口にしている。わら半紙で出来た粗末なチケットを渡すと、階段がずっと上まで続き、それを50mも登って行かなくてはならない。気を付けないと頭をぶつけるし、空気が希薄になっていて途中で息が切れる。まるで炭坑夫宜しく腰を曲げて進んでいく。王の玄室には洋室バスを一回り大きくした位の大きさで花崗石で出来ている石棺がある。その中に入ってみると、ピラミッドパワーで、何か言葉に出来ない力が体にのしかかってくる。王の呪いに憑りつかれる発掘者達が次々に謎の死をとげるミステリーがあるがまさにその気持ちである。外に出ると眩しい光が目に射した。

 ピラミッドの回りにはラクダがいて、そのラクダに乗りピラミッドをバックに写真を撮らせてくれる。一回1ドルでほんの1~2分であるが乗ってみた。その時よほどラクダ君の機嫌が悪かったのか乗ってもウンともスンとも言わない。エジプト人のラクダ使いが大きな声でムチで叩いてもビクともしない。降りようとしたら急に立ち上がり股間を嫌という位打った。宮崎の子どもの国のラクダ(今はもう居ないが、40年前にはその背に人を乗せ砂浜を歩いていた)とは違い、やはりアラブラクダだけあり気性が荒いのであろう。

 エジプト人の大部分はイスラム教徒である。それはとてもユニークで日本人にはその行動が理解しかねるようなことも多い。

 その1、まず1日5回のお祈りである。朝早くから夜遅くまで定期的にメッカの方に向かってお祈りをしなくてはならない。朝寝坊して朝のお祈りが出来ない人用の目覚ましもあり、ベルの代わりに定時が来るとコーランが流れる仕組みになっている。手術中でも分娩中でも熱心な信者は手術台や分娩台まで方向を変え、車の運転中でもメッカの方向を向いて運転するのだから危なくて仕方ない。

 その2、イスラム教徒は豚を神聖な生物と考え決して食べない。ヒンズー教は牛を食べないし、仏教は四足のものは食べない。だから飛行機に乗ると食事が何種類かに分かれ選択できる。その理由というのは色々な宗派の人が乗るのでその肉を食べられないと困るからだ。

 その3、一夫多妻制である。4人までは妻とし娶る事が出来る。エジプトに着いてから尋ねた質問はまずこれであった。しかし現実には法律では認められていても、経済上の問題で中々困難である。どこの国でもそれを行うにはまずお金がないと始まらない。今の日本の流行のように、子どもが出来てから結婚、いわゆる“できちゃった婚”をすると法律で罰せられる。

 日本に帰ると成田空港のTVでエジプトの隣のスーダンでクーデターが起こったというニュースを知った。チャンネルを変えると“笑っていいとも”をやっていてミーハーな人間たちが画面一杯に映し出される。

 今はこういう国には簡単には行けない。いつどこでテロが起こるか分からないのだ。40年前に行っといて良かったとつくづく思う。