日本は世界一の長寿国となった。寿命が長くなった割には、世界一せっかちな民族のように見える。
歩きながら食べられるテイクアウトの外食産業。駅のプラットホームにあるかけそば屋。3分で出来るカップラーメン。待たずにパッと点く照明器具。赤信号でも平気で渡る人。
街に出れば、あと何秒で信号が変わりますという電光掲示板。電車に乗れば、8時10分30秒の電車が参りますとの30秒刻みの構内放送。○○博覧会まであと何日の掲示板。そんなに秒を惜しむように生活していて何になる。そう思ってしまう。
ある動物学者がこう言っていた。ハエと人間の時間の観念は全く異なっている。ハエは人間の数十分の一の動きの世界で生きている。つまり人間が手でハエを捕まえようと手を出す時に、ハエは人間の数十倍もの時間を持っている。
それ故にハエから人間の動作を見ると、まるでスローモーションを見てるようだというのである。だから人間は決してハエを捕まえる事は出来ない。ハエもまた人間から捕まる心配もないのである。
ところが人間は時間の観念は同じであると勘違いしている。
スペインの哲学者オルテガ・ガセットが、ゲルマンの民話を伝えている。ずっとずっと昔は、人間も動物も寿命は30歳と決められていた。ところが欲深い人間は、それはあまりにも短いと文句を言い、他の動物は長すぎると文句を言った。そこで人間はロバとイヌとサルから寿命を少しずつ分けてもらい70年生きる事が出来た。
最初の30年は人間で、その次は重い荷物を運ぶロバに18年間。48歳になったらイヌに12年間で、地面にうずくまりワンワン鳴く。そして最後はサルの10年で可笑しい行動で笑いものになる。
つまりこれを分かり易く言うと、30歳までは人間らしい生活をして、30~48歳までは中間管理職で重荷を負い、48歳~60歳までは後輩にブツブツ文句を言い、60歳を過ぎると認知症になり周りに相手にされなくなる。まさに今の人間の一生を例えた教訓であるといえよう。
よく幼い時の1日は長いが、年を重ねるのに従い短くなるといわれる。1日の長さは変わらないのに、そう感じるというのは我々の普段の生活で思うことである。それでは何故そうなるか?ある人がこう言った。例えば5歳の子供にとって1年は生きてきた5分の1である。しかし60の人は60分の1になるから、それだけ早く感じるのだと。
それはレコード盤のようなものだ。針を置いてすぐは一周するまではゆったりであるが、どんどん回るに従って早くなる。まさに時間の観念というものはそういうことなのだ。せっかく1回きりの人生、ゆっくりのんびりと生きていこう。