日記をつけ始め、もう50年以上にもなる。中学生の時は時々つけていたが、高校に入ると親元を離れたせいもあるが、自分というものを見つめようということで毎日日記をつけ始めた。

 最初はどこにでもあるようなB5サイズの日記帳で、日付の下に20行位の

線が引いてあるスタイルのものだ。内容は殆どその日の出来事や、東京での初めての体験などを書いたもので、時々友人や恋愛のことも書いてある。

 そのうち三日坊主という言葉があるようで時々サボるようになった。1回サボり癖が付くと、そのままツイツイ2~3日抜けてしまう。そのうちにまあ良いやと気を抜くこともあった。

 次の年は、同じ日記帳でも線の入っていないのを買った。線が入っているものだと、何となくその上にきちんと書かないといけないので、1回分が原稿用紙1枚分位になる。そのマスを埋めるのに30分はかかる。そしてそのうちにマス目を見るだけでつけるのが嫌になってくるのだ。

 今でも原稿用紙に文章を書くのは苦手で、文章を書く時は大学ノートかスケッチブッグに書き殴る。そうすると5分もあれば結構ページを埋めることが出来るのだ。この方法で続けるのが辛かった日記帳を続けることが出来た。

 次の年の日記帳は日付のない日記帳になっていて、書きたい時は何ページも書けるし、書きたくない時は書かなくても良いという日記だ。だがこれは失敗だった。書かなくて良いということはイコール三日坊主になってしまうのである。

 最近では、『三日坊主百年日記』というものも売っているらしい。どうせ三日坊主で終わるのなら、1月1日、2日、3日の3日間だけの日記帳を作る。まぁ3日間位は努力して書くだろうから、毎年お正月の様子、その年の意気込みなどを書き込むことが出来る。面白いアイデアである。冗談みたいな日記だが、飛ぶように売れているという。私にはそんな日記があること自体もナンセンスに思えるのだが、世の中色々という訳なのだろう。

 結婚して15年位して、夫婦お互いに忙しく色々行き違いが絶えなかった。1週間も口を利かないこともザラだった。「こりゃいかん!」と思って何か良い方法はないかと模索した。

 そうだ!口を利かないのなら、文章で会話をするのはどうだろうと考え、無理矢理、夫婦交換日記というのをつけることにした。それは1冊の日記帳を1日置きにお互い日記をつけるのだ。相手のページを見て、それに対する感想や想いを綴っていく。何でこんな簡単な方法に気が付かなかったのだろう。夫婦仲が冷めたカップルはこういう風にすれば上手くいくのに…。と思っていた。

 ところが暫くするとその欠点が分かってきた。それはまずそれに書くのが面倒臭くて、しかも悪口の応酬になりお互いにそれ以上に疎遠になってしまう。そこで1ヵ月も続かずに終わった。仲の良い夫婦だったらもの凄く良い方法だと思う。それにより、より深い夫婦関係を構築することが出来るだろう。しかし仲の悪い夫婦には、火に油を注ぐ結果になるだけである。

 それから通販で10年日記というのを売っているのを知った。一日の出来事をたった4行書けば済むのである。5千円位するので、値段はちょっと高めなのだが、たった4行、100字程度なのでちょっと時間があれば書ける。

 つけ始めは気が付かなかったが、去年、一昨年、その前の年の今日何をしていたかが一目瞭然で分かる。5年も前だと、まだまだ今より未熟だし、若さ丸出しの所もある。子供も毎年色々な壁を越え、成長していくのが本当によく分かるのである。それと同時に今自分が置かれている立場もよく分かる。

 日記をつける人はつけない人より長生きするそうだ。それは人に言いにくいことも日記だと自由に書けるからだろう。中には2冊日記帳を持っていて、1冊はその日の出来事を普通に書き、もう1冊は人の悪口や言いたい事を書き綴る人もいるそうだ。死んだらその日記をお棺の中へ入れ、火葬場で一緒に焼いてもらうという。でも間違っても普通の日記を入れて悪口の日記が残ってfしまったらと考えると、何か怖いような気もする。

 出来たら10年日記をつけ続けたい。あと4冊書き上げれば100歳になる。尊敬している日野原重明先生の年齢に達するのだ。  

 さて、そんな気持ちで今日も一日の終わりに日記帳を開ける。

 因みに、父は12冊の日記を書き残している。