三日坊主の私が、珍しく続いているのが日記を付けるということだ。付け始めたのは中学2年生位の時からだ。最初のうちはいつまで続くのだろうという気が強かった。毎日書こうと思っていても、2~3日抜けるともうイヤになってやめたくなる。一ヶ月もそれが続くと、さすがに止めようと思う。だから最初の日記は毎日付けていた訳でもなく、書きたい時にだけ書くというやり方だった。それも日記帳に付けるのではなく、B5のノートに書き殴るというようなやり方だった。内容の殆どが学校の事、友人の事、家の事で、まるで小学校の夏休みの日記みたいなものであった。
中学の途中から東京の学校に転校した。生まれて初めて親と離れての生活。標準語を喋らなくてはならないプレッシャー。シティーボーイを目の前にして、いかにもアカ抜けた会話をしなくてはならない追いつめられた生活。そういう辛い毎日を救ってくれたのが日記だった。
日記の中にはもう1人の自分がいた。今日こういう辛い事があったと日記に記すと、日記の中のもう1人の自分が私を慰めてくれるのである。どんな辛いことが起こっても、日記にそうした心を綴る事で、気持ちを発散させていたのかもしれない。
モヤモヤした気持ちが日記を書いていると、少しずつ透き通った気持ちになってくるのは自分でも不思議だった。それは友人に愚痴をいうのと同じ様な、フラストレーションの解消に役立ったのかもしれない。
高校になると当用日記というのを買い求め、毎日1ページずつ三日坊主にもならずに書き続けた。ただ一つ困ったことは、あまりにも書くことが多い時、次の日のページまで占領してしまう事であった。
大学時代も時々サボることはあっても日記を書き続けた。医師になり開業すると、中々日記を続けていくということが困難になりサボってしまう。2~3日さぼると緊張の糸が切れた様に空白のページが増えていくのである。そこで日記を自分だけのものではなく、従業員にも公開する形式にしてみたらどうかと思った。
大学ノートにその日感じた事を書き記し、従業員が読んだらその横にサインをしてもらう。暫くそれが続いたが、どうもイマイチの人気だった。何故なら私の字が汚くて、半分も読めないというのだ。それでそれは止めた。
そこで、新しい日記をと思っていたら、私にぴったりの日記を見つけた。それは「花暦」と呼ばれる10年日記だ。大きさはB5で左ページは日本画の大家田中画伯の花の絵がふんだんに取り入れられている。毎年同じ日だけが1ページに収められていて、去年の今日は何をしていたかがすぐ分かるという便利モノである。
厚さは5cmもあり、一見すると百科事典みたいな装丁だ。但し値段は高くて3万2千円。つまり1日分が約10円もする事になる。多少高くても、今から10年間の自分史をこれに綴ると考えれば安いものだ。頑張って付けていこう。
因みに、三日坊主の人の為に“三日坊主日記”というものがあるそうだ。それは1月1日、2日、3日までしかなく、100年分あるのだという。そういうのを付ける人がいるのかと疑問に思うが、売れるところをみるといるということだろう。世の中色々である。