私は8人兄弟の末っ子。
そのせいか、「人に教える」というのが苦手だ。
長男や長女であれば、弟や妹に色々な事を色んな機会にごく自然に教えることがあるのかもしれない。
だが末っ子は、上から言われる事に素直に従い、生きていくことになる。
だから末っ子は人に教える事が出来ない性格になってしまうのかもしれない。
大学時代、小学生の家庭教師をしたことがある。
何せ、とにかく人に教えた事がないので、どうして教えれば良いのか分からない。
そこで自己流で教えることにした。ところがそれからその子の成績は落ちていくばかり。
その親にも本人にも恨まれた。結局学生時代は一回も人に教えることはなかった。
医者になり、研修医の時は先輩から教わるばかりであった。
しかし、卒業して5~6年もすると、今度は後輩に教えなくてはならない。
赤ちゃんの取り上げ方とか、手術の糸結び、メス、ハサミなどの道具は先輩から教えられた通り教えれば良かった。
卒後、手術に魅力を感じていて臨床医を目指した私は、外国の文献などによる研究や勉強は苦手だったが、
一日中手術に明け暮れていたので、その方法を教えるのはお茶の子さいさいであった。
教える立場になって、色々分かった事がある。
手術というのはセンスが必要だ。何回教えても上手くならない医者もいれば、
1回教えればすぐもう次の時はそれを教えた通りにやれる医者もいる。
やはり手先が器用で、外科向きの人間と、それに向かない人間がいるのだ。
県病院在職中も看護学校、助産婦学校の授業をしなくてはならなかったが、
そのうちの1~2回はレクリエーションと銘打ってギターを片手に平和台公園に出掛けたり、
夏になると青島でヨットクルージングなどして楽しんだ。
だから教務の先生方の評判は最悪だったが、学生からは卒業後、楽しい思い出が出来て良かったと好評だった。
開業してもやはり看護学校の授業はしなくてはならない。
教える内容があまりないので、90分の授業のうちしゃべるのは30分。
後はピアノを弾いたり産婦人科関係のDVDを流しお茶を濁している。
宮崎大学の看護学科の学生の実習も引き受けている。
毎週火曜日、新生児検診の様子を見てもらい、その後世間話をし、リクエストされた曲をピアノで弾きおしまい。
良く言えばユニーク、悪く言えば教育者失格といえるかもしれない。
しかし、やはり教えるということは辞める訳にはいかない。
というのも学生の時に吸収したことは何でも、血になり、肉になるからだ。
又、教えるということは、一方で自分も学ぶということでもある。
これからも色んな学生を指導することがあるだろう。
肩ひじを張らず、リラックスして医療について熱く語りたい。将来を担った学生の為にも・・・。