お産する際の分娩様式には経膣分娩と帝王切開がある。近年いろんな事情で、帝王切開が増えているが、
帝王切開になる確率は日本では10~20%程度である。ブラジルなどでは50%が帝王切開になるというから、
分娩の半数はお腹を切って赤ちゃんが生まれるという事になる。
帝王切開の理由としては、まず狭い骨盤、赤ちゃんが4kg以上もあるようなジャイアントベビー、双子、三つ子な
ど多胎妊娠、逆子(骨盤位)、前回帝王切開、前置胎盤、筋腫合併などの予定帝王切開。他に赤ちゃんの心音
低下、分娩進行停止、胎盤が急にはがれてしまう常位胎盤早期ハクリなどの緊急帝王切開がある。いずれにせ
よ、お腹を切って赤ちゃんを取り出す方法である。
当院も開業して25年になるが、その間に約1000例の帝王切開をした。多い年は年間100例位した。今でも年
間20例位は行なっている。
予定の帝王切開の場合以外に緊急帝王切開があるが、これに関しては医師会病院で行なっている。これも年間
20例前後である。突然の赤ちゃんの心音低下などが起こると、冷汗ダラダラで救急車で搬送する事も多い。連絡
をしておけば30分以内に帝王切開する事が出来るので、本当に助かっている。救急車の中では「赤ちゃんの命が
助かりますように、お母さんも無事でありますように」と神に祈りながら同乗する。幸い今まで全てのケースで救命
出来たのは、やはりこの素晴らしいネットワークとスタッフのお陰だ。
帝王切開のやり方は、まず充分麻酔を効かせる。手術中に痛みを感じる事はほとんどない。腹部を切開後、子宮
下部を横切開し胎児の頭やお尻をつかむ。そしてお腹の上から押してもらい娩出させる。その後、子宮を縫い出血
の有無、ガーゼ確認してお腹を閉じる。順調にいくと30分位で手術は終わる。
さて帝王切開の名の由来はドイツ語Kaiserschnit(カイザーシュニット)から来ている。この意味はラテン語のsectio
caesarea(セクチオ・カエサレア)に由来し「切る」という意味がある。ところが古代ローマのシーザーの名前がカエサ
ル・シーザーで、これに似た名前だった為、これが後に帝王切開という和訳になったという。
日本ではいつこの帝王切開が行なわれたのだろうか。記録によると嘉永5(1852)年4月23日とされる。秩父郡我野
(今の埼玉県飯能市坂元)で行なわれたという。患者は『本橋みと』という33歳の経産婦で、胎児が大きすぎて下から
出ず帝王切開になった。執刃したのは伊古田純道という西洋流外科学を学んだ医師。母親の臍左横を15cmほど縦に
切り、子宮を開き胎児を取り出し、その後子宮は縫わず腹の皮だけを縫い合わせた。時間にして約1時間、その後腹膜
炎などの術後合併症を併発したが、明治41(1908)年88歳で天寿をまっとうしたという。
その後、文久~明治初年などになると、帝王切開も医術の1つとして行なわれるようになり、当時のお金で10両。
一般家庭の年収の半年分の大金で行なわれていたというから、今でいうと300~400万円くらいだろうか。今は3~40万円位
であるから、今の約10倍位かかったという事になる。
今ではポピュラーになった帝王切開も、日本では150年以上も前から行なわれていたという事に驚かされる。
ちなみに私の父も産婦人科医で、70年前私が今開業している場所の上野町で昭和17(1942)年開業したが、沢山の帝王切開をしている。
戦後ようやく開業医でも帝王切開が普及したことが、当時の父が写っている赤ちゃんを帝王切開で取り出している写真から分かる。
今ではおそらく日本では年間20万人以上の赤ちゃんが帝王切開で生を受けているのではないだろうか。すごい事である。