先日、家内に突然見知らぬ男の人から電話があったという。「もしもし、谷口様のお宅でしょうか?」「そうですが・・・」「実は私の会社では25年前にお宅で布団を買っていただいているのです。もうそろそろ打ち直しか買い替えの予定でもないかと思いまして電話を差し上げたのですが・・・」「ええ、確かに憶えています。25年前、引っ越して布団が必要になり買った記憶があります。かなり高額だったので、買う時は少し不安だったのですが、実際使ってみるとこれが又気持ち良くてぐっすり眠れるようになったんです」「それは良かったですね。私どもの製品が気に入っていただけて商売する者としては一番嬉しい事です」。
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その数日前、家内が私に少し悩みがあるような顔でこう言った。「あのね、私の布団もう25年も経つんだけど、もうボロボロになって打ち直しをしてもらおうと思ってるの。良いかしら・・・」。急にそう言われて返答に困った。しかし25年も使ったらもうボロボロになって捨ててもいいくらいだ。よく我慢して寝ていたな、感心、感心と内心思った。家内は東北の秋田で冬になると2mも雪が積もる寒村の生まれである。今でも20代の頃に来ていた50年位前の服でも捨てないでとってあり、とにかく物を大切にする性格である。『贅沢は敵だ』という戦時中の考え方がモットーである。何せ田舎育ちなので、何一つ贅沢な生活はさせてもらえなかったらしい。今時、珍しい生活環境で育ったので、与えられた物はとにかく使えなくなるまで使うという方針らしい。
「まぁ25年も経っているなら、布団打ち直してもらっても良いだろう。何せ捨てても良いというくらいの物なんだから・・・」と承諾した。でも少し何か不安がよぎった。布団と言うとお年寄りを騙し、安物を高くで買わせる商法が今問題になっている。原価が1万円位な物でも50万位で売りつけるという。すぐ破け、中の羽毛を調べてみると、使えないような粗悪な素材だったりする。しかし一度買った物はもうそれを返す事が出来ない。そういう事を仕事にするナリワイがいると新聞やテレビで見かけるので心配だった。
「又、電話してもらえるようにしておいたから、その時に来てもらうわ。本当にいいのね、打ち直ししても・・・」「いいよ」と言うと「ヤッター」と言いながら飛び跳ねて喜んだ。
数日後、そのセールスマンがやって来た。家内の布団を見るなり「こりゃ、酷い。よくこんなのに我慢して寝てましたね。裏はもうボロボロでこんなのに寝ている人なんて初めて見ました」と家内を褒める。褒めるというのは益々怪しいとマユにツバを塗る準備をしていると、私はこういう者ですと名刺を頂いた。「福岡の方に会社があるのですが、営業で宮崎を回っているものです。それでお電話を差し上げて来ました」。よく見ると名刺の隅の方に顔写真が貼ってあり、首からは社員証みたいなものをぶら下げている。こりゃ、益々怪しいとその名刺の写真と本人の顔を見比べてみた。すると同一人物である。もしこの人が詐欺師であっても、こんな顔写真が名刺に貼ってあればすぐバレるはずだと少し考え方を変えた。
暫くすると男の人はワゴン車から布団を何枚も取り出し廊下に並べた。まぁとにかく家内に任せようとその場を離れた。仕事が終わり家に戻るとその男の人はまだ居た。1つ1つの布団を説明している。「試しに私にも寝てみて下さい」と言う。乗り気ではなかったが、ゴロッと横になった。「あぁ、そんなに凄いという感じでもないなぁ」というのが率直な感じだった。次の日家内がニコニコしながらこう言った。あなたの古希祝いを兼ねてあなたの分も買ったわ。これ買っておけばあなたが死ぬまで布団は買わなくて良いわ」。「???」。
オイオイそれはないだろうと思いながらその夜、その布団で寝てみた。するとどうだ。あれほど不眠気味だった私がぐっすり眠れたのだ。やはり良い物はいい。ちなみにその会社は当時の人気力士が『8倍、8倍!!』と叫んでいたCMの布団屋である。確かに普通の布団に比べたらそれ位の値段はする。しかし、ぐっすり眠れるものであれば安い物だ。一生、女房の次くらいにこれを大切にしよう。そう思いながら床についた。