私は、生まれも育ちも宮崎のくせに、宮崎弁が上手くしゃべれない。
飲みに行くと、いつも県外の人と思われ、宮崎の名所、美味しい所、
旨いものなど懇切丁寧に教えられることもある。
私が宮崎生まれと言うとびっくりされ「本当?」と疑いの目を向けられる。
 しゃべれないのは理由がある。谷口家の決まりで、男は15歳になったら親元を追い出され、
東京に行くことになっているのである。私の誕生日は10月26日。その年末に中学3年の2学期を終えると、
東京の中学へ転校した。今までのんびりと楽しい生活を送っていたのだが、
突然大都会、東京に投げ出されパニックになった。
 1月の寒い時期、宮崎と違い東京はかなり寒かった。
宮崎に居る時は冬でもいつも裸足だった。体育の時間も裸足でグラウンドを走っていた。
東京もそうだろうと思っていたら、皆白い靴を履いている。
裸足の私を見て「宮崎から変わり者のヤツが来た」と思われた。
それでも意地でそれを続けていた。自分ではおかしいとも何とも思わなかった。
 びっくりしたのは、校庭がコンクリートだったこと。
今までコンクリートの校庭というのは見たこともなく、やはりコンクリートの上に裸足というのはこたえた。
それでも宮崎男児の根性を見せてやれということで我慢していた。
すると同級生の1人が、靴を持ってきてくれ履かせてくれた。それからは靴を履くのが当り前になった。
 でも一番の問題は言葉であった。
宮崎弁でしゃべっていた私は、言葉使いで田舎者という烙印を押されるのが恐かった。
そこでダンマリ作戦を貫き通した。
ほとんど同級生とは話をせず、ただ頷くだけで、中学時代最後の3学期は終わった。
 高校に入ると少し状況が変わった。私が宮崎の田舎から出てきたということは誰も知らない。
だからいかにも都会人として振る舞った。その為に友人も沢山出来、宮崎コンプレックスも少なくなった。
しかも色々話をしていると、同級生の田舎(父or母方)は東京の人は少なく、
千葉、茨城、埼玉、栃木などの比較的訛りのある土地だったことが分かったのである。
高校を卒業する頃私は、すっかりシティーボーイに変身したのである。
 逆に同級生に宮崎弁を披露したりする余裕も出来、疲れた時は「ひんだれた~」と言うと、
それが同級生に広まったりして、少しずつコンプレックスもなくなった。
 大学に入ると今度は、日本全国から上京して来る。9割以上は田舎が東京以外の人達である。
初めての東京生活で緊張しているのが分かる。私も3年前位まではそうだったのだから、
言ってみれば当たり前のことだ。今度は逆に私の方が田舎者の世話をする役になった。
たった3年ちょっとの東京生活なのに、先輩面する私が自分でも可笑しかった。
 宮崎に帰って来たのが29歳の時。14年間県外生活をしていたので、すっかり宮崎弁を忘れてしまった。
それからもう33年になる。それでも中々上手く宮崎弁が出ない。
だから時々、宮崎弁の練習をしようと従業員の前で宮崎弁を披露する。
 「今日は、ぐぁらんぐぁらん雨が降るかい、まこちぬきー。てげよだきくてひんだれた。
びんた冷あさんとのさんねぇ。ひだりい時はぎょうさん食べて、腹かかんようにせんといかんとやが~」。
 まるで英語をしゃべるようにタドタドしい宮崎弁。
宮崎人にとってこんな人が居てひったまがったと思われるだろう。
 ちなみに標準語に直すと「今日はザーザー雨が降るから、本当に暑い。
とても体がだるくて疲れた。頭冷やさないときついねぇ。体がだるい時は沢山食べて、
腹を立てないようにしないといけないね」。という意味だ。