学生時代お金は全くなかったが、有り余る程の時間があった。だから時間に余裕があれば、バイトしてお金を稼ぐクラスメイトも沢山いた。

 沢山のお金を得るのは力仕事が一番手っ取り早く、力のある人などは地下鉄工事のバイトをして一日1万円(今の5万円位)も貰っていた。しかし我々のやっていたバイトはせいぜい時給200円も貰えればいい方であった。

 頭を使うバイト(家庭教師など)をいくつもやってはみたが、どうも私には不向きなようであった。勉強する意欲もない学生が、小中学生相手に教える訳であるから不向きも当たり前だったのである。

 或る日友人から『高清水』という小料理屋のバイトに行かないかと頼まれた。これといって断る理由のない私は「まあ行ってみるか」という気になった。2食付き時給200円。5時から11時までで1日1200円。そして時々は客相手に酒を飲んでもよろしいという条件に二つ返事で承諾した。

 新宿の歌舞伎町のビルの一角にある小汚い4階建てのビルの2階にお店はあった。ガラガラと引き戸を開けると5~6人は坐れるカウンターと、奥の方には7~8人座れる座敷が2つあるだけの小料理屋であった。

 200円の時給の他に、2食ついているというのも魅力だった。何といったってその食事はその店の魚などの材料の残り物。小料理屋で出されるものを使っているので、鍋物は素晴らしい出汁が出ている。その他の料理は寄せ合わせで見栄えは良くないが実に美味かった。

 最初は緊張してお酒も飲めなかったが、時々お客さんが「一杯どう?」と言われると、「じゃ、一杯だけ」とグラスを差し出せるようになった。そしてそのうち酒の味を覚えていったのである。

 その店で色々な社会勉強をさせてもらった。お客さんがたくさん来店され忙しい時期があった後バルブが弾けた。いわゆるトイレットペーパーが品不足で大騒ぎになったあの時である。本当に不況になったのだ。そうすると客足が少しずつ遠のいていった。ある日一人の客も来ない日があった。暇だったので店にあったスポーツ新聞を読んでいると、カミナリが落ちた。売り上げが低迷し大変な時期だったのだろう。ついイライラしてカミナリが落ちたのだと思う。そりゃそうだ。お客様が来ないと仕入れた魚介類は廃棄せざるを得なくなる。板前さんの給料も払えなくなるかもしれない。そんな不安で心が押し潰されそうになったのだと思う。

開業してみてその気持ちがよく分かる。やはり収入が減ると不安になるものだ。でもその時学んだ「いくら不況の時でも人に当たってはいけない。ましてやカミナリを落としてはいけない」と。それは今でも私の心の中に深く刻まれている。

久しぶりにバイトの小料理屋のあった所に行ってみた。でもそこにはもう小料理屋はなく他の店に変わっていた。

 残念ながら学生時代のまったりしてゆっくりした空間、時間は全然なかった。空にそびえる高層ビルだけが新宿の街を見下ろしていた。半世紀も経つと全く世の中も変わるものだなぁと昔を振り返りながら歌舞伎町を後にした。