先日、「昭和相撲のここ一番名勝負」というのをやっていた。私が幼い頃テレビはまだなく、相撲はラジオ中継だけであった。アナウンサーが「息が合って立ちました。右手で上手をがっちり捕まえています。あっ、足を飛ばした、寄った、寄った。あっ、うっちゃり。○○山の勝ちです。」その風景を頭の中に浮かべながら想像して相撲を楽しんでいた。
ようやく小学5年生位の時に我が家にテレビが来た。それはブラウン管の白黒テレビ。ラジオとは全く違って、目の前で勝負が見られるのだから、とても驚いた。今までの頭の中で考えていた相撲とはかなり違っていた。本当にリアルタイムに見られるというので、皆テレビの前にかじりついて見ていた。テレビがない家は、相撲の中継が始まると家族で観に来たりしていた。
両力士が同時に体が土俵についたりする、いわゆる同体で勝負がつかないと、そのシーンを写真にして、パラパラ漫画みたいにして判定する。実に長閑な時代だった。
私が夢中になった時期は、栃若時代で「栃錦」と「若乃花」の両相撲の戦いに手に汗を握った。私は栃錦のファンで、いつもそのお尻に絆創膏が貼ってあり、相撲よりその方が気になった。
その後、「大鵬」と「柏戸」が横綱になり柏鵬時代になった。その後、「輪島」、「北の海」の時代になり、ようやくカラー放送になってきた。若貴時代までは相撲は盛り上がっていた。だが気が付けば外国人力士が増え、日本人の横綱は居なくなった。その中でもモンゴル人の台頭は凄く、横綱は全員モンゴル勢となった。日本語が流暢で顔も日本人に似ているのだが、やはり性格はモンゴル人。相撲道を尊ぶ日本人とはやはり少し違う。残念ながら違和感は否めない。
ところで、相撲に欠かせないのが土俵だ。周りが15尺で出来ていて、中心から7.5尺の円に「ワラ」が置かれている。この土俵は実はその場所の度に作られ、場所が終わると壊されるのである。そう、土俵はその場所限りのモノなのだ。その作り方はとてもユニークだ。
まず、トラックで運び込まれた土は、何と40人余りの呼出しの手によって作られているのである。運び込まれた土は叩いて水を撒き、そして又叩く、それを二日間も繰り返すのだ。照明を落とした薄暗い館内に、呼び出しの「ヨイショッショイ」という掛け声が響き、それと同時にモッコ、タコ、大タタキ、小タタキなどと呼ばれる木の道具で土を叩いていく。俵の方は藁を叩く。その道具は何と「ビール瓶」その後、手でキレイに編んで出来上がる。完成するまでに丸四日もかかる。
相撲でいつも不思議に思う事がある、それは何故土俵は1m位の高さがあるかということだ。高い所から転落すればケガはまぬがれない。時々観客の所に飛び込んで、中々その中から出られない力士もいたりする、行司も一緒に落ち、脳しんとうを起こしたりする。危険極まりないと思う。しかし、あの高さがあるからこそ、落ちるまでの一秒の数分の一という時間を利用して、受身の体勢になれるのだ。
何気なく見ている相撲。あの土俵にはそれを作った呼出しの並々ならぬ涙の結晶が詰まっているのだ。因みに土俵の土の中には実際には縁起を担ぐ意味で勝栗や昆布・米・スルメ・塩・カヤの実が神への供え物として土俵祭りの際に埋まっている。
不祥事続きの大相撲だが、こんなに苦労して土俵を作り、相撲ファンを楽しませているのだ。もう少し原点に立ち戻って、皆が楽しめる相撲になって欲しい。それが相撲ファンの願いだ。