先日、同級生が亡くなった。市内で開業している内科の医者である。
1~2年前から体調を崩し、ここ数ヶ月間は抗癌剤の治療をし自宅療養をしていたという。
噂ではかなり状態が悪いとは聞いていたのだが、こんなに早く亡くなるとは思わなかった。
彼は中学の時、バスケット部で一緒だった。身長は180cm近くあり体格もがっしりしていた。
病気などしそうにもないくらい元気であった。当時2人とも補欠で一着のユニホームを交互に試合で着て出たこともある。
その後、それぞれ違う高校に入り、私はバスケットクラブには入らず、バスケット同好会に入った。
一方、彼は本格的にバスケットを始め、医者になってからは自分のバスケットチームを作り、宮崎のバスケット界では
有名な存在だった。
人の死は誰にでもショックな事だが、彼の場合は特別である。というのも彼と私は生年月日が同じなのである。
昭和24年10月26日で同じ日に生まれた。同じ日に生を受けたからと言って同じ様な一生を送る訳ではないのだが、
スタートラインが同じだっただけに、寿命というのが気になるのである。
通夜に参列したが、式場に入りきらないくらいの多勢の人が来られており、彼がいかに人に慕われていたのかを知った。
私の場合この10分の1くらいも来てもらえるかなと、同じ日に生まれた彼にちょっと嫉妬した。
彼には3人の息子さんがいるが、まだ3人とも10代である。今から子供の成長を見守りたいと思っていたはずなのに、
そう思うと本当に悔しくて悲しい気持ちになる。
同じ日にもう1つの通夜があった。佐土原で開業されている先生で、やはりここ数年闘病生活をされ亡くなったのだ。
何回かゴルフを一緒にさせてもらったが、とても上手だった。名簿で彼の生年月日を調べると、何と昭和24年10月27日。
私とたった1日違いである。そう、2人ともあと1ヵ月もすれば60歳になり、還暦を迎えていたはずなのである。
最近、節目の年齢になった時の自分の考え方が少し変わったように思う。40歳になった時、まだまだ40歳。
50歳の時はもう50歳になって年をとったなぁという気持ちしかなかった。というのも年をとるというのは当たり前で
その年齢になると、自分の年齢を人に言うのが恥ずかしくなるというのを初めて知った。しかし今は違う。
何とか60歳まで生きていたい。出来たら70歳まで、ちょっと欲を言えば80歳まで、運が良ければ90歳まで、
可能なら100歳までと考えるようになったのである。つまり生きているという事は、ただそれだけで有難い事と思うように
なったのである。
同級生が亡くなる度に、今までに亡くなった同級生の顔が次々と浮かぶ。山で遭難した者、交通事故で亡くなった者、
自殺した者、突然死した者。もう10人以上が故人になっている。いずれその仲間入りする事になるのだが、
まだ今のところしばらくは元気で頑張ろうと思う。
そういう私を見て同級生達が口々に言う「私が死んだら君が葬儀委員長になってよ。君は同級生の中で一番元気そうで、
一番長生きしそうだから頼むよ」。しかしそれだけは約束出来ない。
何故なら人の寿命というのはいつ尽きるか分からないからだ。でもいつもこう言い返している。
「まかしといてよ。きっと立派な葬儀をしてあげるから・・・。君と君の家族の為にもね・・・」。
人の死というものは、やはり悲しいものだ。