人は知らぬ間に年齢をとるらしい。しかし気が付かないで行なっていることが実に多い。自分の体験からそれをいくつか上げてみたいと思う。

・ 買物をする際、支払する時小銭を出さないようになった。いつもお札を出し

   お釣りをもらう。小銭入れから小銭を勘定して出すのが面倒臭いのである。

  釣り銭は ポケットに流し入れ、帰ったら机の上の小箱にじゃらじゃらと入

  れる。

  スクランブル交差点が苦手になる。スクランブル交差点は普通の横断歩道に

    比べ距離が長い。信号が点滅始めるともう渡り切る自信がない。それでも急

    いで走り抜けようとすると足がもつれて走れない。

10年位前スーパーに行ったら、前にいた年配の女性が店員に買ったばかり

   の ペットボトルを手渡し「ペットボトルの蓋を開けて下さい」とお願いして

   いた。蓋位自分で開けりゃいいのにと思っていたが、今ではこの私が同じよ

   うに他人に開けてもらっている。開ける力が弱くなっているのである。

月に1回散髪に行く。いつも通り髪を切ってもらった後、最近は耳毛を切っ

   てくれる。意外と自分では耳から毛が出ているということに気付かない。最

   近では当たりのように耳毛をカットしてくれる。

NHKテレビの『みんなの体操』をしてみようとやってみると、飛び跳ねる

  ことが出来ない。つまりジャンプが出来ないのである。そんなこと考えもし

   なかった。

スーパーなどに行くと、買物かごを手に取って買物していたが、最近はどん

   なに買う物が少なくても、カートに買物カゴを乗せ押して買物をしている。 

   というもカートに掴まって歩くというのが楽なのである。

足の爪が自分で切れなくなった。足の爪が伸びていると、爪が引っ掛かって

   靴下が履きにくいので、週に一度は爪を切ることにしている。ところが指先

   がよく見えない。先日は切ったら身の部分で「痛い!」と声を上げ、見たら

   血がドバドバ出ていた。爪のつもりで肉の一部を切ってしまったのである。

レストランや居酒屋に行くとメニューが見えにくい。先日はポケットに小さ

   なルーペを忍ばせて行ったが、メニューが見えなかった。スーパーでも商品

   に貼ってある値段がよく見えにくいので困る。3と8、1と7が特に判別し

   にくい。

出掛ける時は、ちょっぴり余裕を持って準備しているのに、バタバタしてギ

   リギリにならないと準備が完了しない。女性の場合時間がかかるのは分かる

   が、 ジーさんでは有り得ない。

・ カレンダーに書いてあるイベントの予定や場所を見誤って行ってしまい、会

   場に行ってみたら誰もいなかったりすることがよくある。帰ってカレンダ 

  ーを確認すると、次の週の予定だったり、いつもと場所が変わっていたりし

   ているのである。

出掛ける際に忘れてはいけないと“財布、携帯、万歩計”と紙に書き玄関に

  貼っているのだが、それでも時々忘れていることがある。先日もスーパーで

  買物してレジで財布ないことに気付き、慌てて又元の売場に商品をもどした。

孫と遊ぶ時、孫と手を繋ぎ振り回すのであるが、3回回った所で自分が目を

   回して倒れてしまった。それを見た孫はキョトンとして私を見つめている。

   今まではこんなことなんかなかったのに…。

デパートや駐車場で段差はないのに2、3cm盛り上がっている所で躓く。

  建物が建て増ししてあり、新館と旧館を繋いだ所は要注意だ。床の色は変わ

   らないので足を出した瞬間突っかかってしまい倒れてしまうのだ。

今が何時というのは検討がつくが、今日が何月何日であるのかというのが分

   からない。認知テストのテストで「今日は何月何日ですか?」というのが何

   年か前あったが、「そんな質問して人をばかにするにもほどほどにして!」と

  思っていたのだが本当にその通りなのだ。

病院に行くと何と老人が多いことかと嫌になる。だが自分もそうであること

   をすっかり忘れてしまっているのだ。だから平気で受付の人に「今日は老人

   ばかりですネ」なんて失礼なことを言ってしまう。

 まぁ数えればキリがない。でもそれが年齢を重ねると起こる出来事である。

 10月26日で古稀を迎えた。70年間、25567日も休みなく生き続けていることになる。実に凄い数字だ。これからも健康に留意し、一日でも楽しく、元気よく人の為に役立つ老人でいたい。