1週間位前からお腹の調子が悪かった。1日何回もトイレに行くのだが、何だかスッキリしないのだ。
思い切り気張っても出ない。これは何か変だ。医者の予感というか、胸騒ぎがしたので気になっていた。
大学の授業で、『便が細かったり、血液が混じっていたり、便秘や下痢を繰り返したり、
腹痛が続いたりしたらまず大腸癌を疑え』と習った。その時の講義の話が、頭の中でグルグル回り、
益々不安になった。しかも去年2人も同級生が大腸癌で亡くなっている。
その初発の症状が『便が出にくい』『お腹がいつもシクシク痛い』という事で病院に行ったら、
すでに末期の大腸癌で手の施しようがなく、しばらくして亡くなった。そういう事も話として聞いているので、
もうてっきり大腸癌だと自分で診断していた。
まぁ、もう60歳になり還暦も迎えたし、開業して25年にもなり、好きな生き方をしたから
「いつ死んでもいいや」と思った。しかしとにかく大腸ファイバーの検査を受ける事にした。
さて当日を迎えた。目に映るもの全てがこれで見納めになるかもしれないと思い、周りの風景をぼんやり眺めていた。
受付でお尻の所に大きな切れ込みがあるデカパンを手渡された。
それを更衣室に入り履くとまるでお尻丸出しルックではないか。その上に検査着を着て待合室へ。
血圧などを測り、問診表を書き、ドキドキしながら待った。
名前を呼ばれ検査室に行くと「まず浣腸をします」と言われた。
「普通は90㏄するのですが、初めてという事で少な目にして70ccにします」お産の入院時、
便秘の人には浣腸をする。その量も120㏄位なので、それよりは少ないので大した事はないだろうと高を括っていた。
横を向かされて大きなパンツの割れ目から何か入ってきた。思ったほど大した事はなかったので、一安心。
「2分位は我慢して下さい」と言う。2分位は大丈夫と余裕で部屋を出た瞬間、急にお腹に来た。
ボクシングでいうと突然のボディーブローである。一生懸命1、2、3、4と数を数えて我慢した。
しかしそれも限界。トイレに駆け込んだ。浣腸液みたいなのが沢山出て、
その後も2~3秒ごとにものすごいお腹の痛みがある。いつもは妊婦さんに浣腸の指示を出し、
その後の事は知らなかったが、こんなに大変な思いをさせていたのかと反省した。
そしていよいよ検査。まず先生が「お尻の入口を診ます」と指を突っ込み診察された。
いわゆる直腸診というやつである。そして「大腸ファイバースコープが入ります」と言われ入ってきた。
目の前にモニターテレビがあり、大腸の様子をライブで見る事が出来るようになっていた。
何だか自分の下の部分が目の前に映し出されていると思うと、とっても恥ずかしい気がしたが、
表面はツルツルとしてピンク色でとても綺麗だった。こんな肌だったらいいのにと思っていると
「ちょっと痛いかもしれません。ちょうど直腸からS字結腸に入るところですから・・・」。
するとお腹の中をグルグルと内臓を掴れる様な感じでとにかく痛い。
「痛い~」とも叫べず、グッと我慢していると看護師が「力を抜いて、リラックスして下さい。大丈夫ですから、
今が一番キツイですからね・・・」と言う。どこかで聞いたセリフだなぁと思ったら、お産の時にいつもうちのスタッフが
分娩中の妊婦さんに声を掛ける言葉と一緒だった。妊婦さんもこんな痛みに耐えながら頑張っているんだなぁと思うと、
歯を食い縛った。「憩室はありますが、これはほったらかしにしていても大丈夫です。それじゃ終わります」と言われ、
スルスルと大腸の表面を滑りながらカメラは出ていった。
終わって「特に心配なものはないと思います」と言われた時は、ドッと力が抜けた。
「よかった~。これで少なくとも5年は生きられる。神様ありがとう」。
まだグルグルするお腹を押さえながら車に乗った。目に入る風景はいつもの風景のはずなのに、
何だか初めて見る風景に見え新鮮だった。フロントガラス越しに夕焼けを眺めながら、今日も一日無事に生きられたと、
全ての事に感謝した。その時、今日の夕焼けは、今まで見たどんな夕焼けよりも美しく見えた。
※ 憩室・・・ポリープは凸っているが、凹だもの。