クリニックの窓からふと外を見ると、年配のおじさんがトボトボと歩いている。真っ黒に日焼けし、黒いマントみたいなものを羽織り、黒い帽子を被っている。手には二つ折りにされた段ボール。髭をボーボー生やし、白いものも混じっている。その歩みはまるでペンギンみたいにゆっくりだ。

 その先に目をやると、スーパーに置いてある車輪つきの押し車があり、その上には空ビンや傘、ボロ布が乗っている。どうやらそれがホームレスのおじさんの移動出来る家らしい。何度も周辺のゴミ捨て場から、気に入ったものがあると運んできて、その押し車に乗っけている。この付近で野宿する為の準備らしい。

 夕方になると、まるで野戦場で見るようなテントが出来上がった。それはちょっとした風が吹けば吹き飛ばされてしまいそうだ。その風景を見て、学生時代の私の姿が目に浮かんだ。

 学生時代、とにかく自分が同じ場所にいることが非常に落ち着かなかった。なるべく実家に帰りたくなく、休みになると旅に出ていた。それも野宿やキャンプをしながらの旅である。北海道を1ヵ月旅した時は、毎日空地を見つけてはテントを張りそこで野宿をする。次の日はそのテントを片付け、また1日中ブラブラとして、また新しい場所を見つけてテントを張る。まるで日本国中が自分の庭のような気分に浸っていた。

 就職してもその癖は続き、土、日はふらりとバイクで旅に出、小汚い民宿を見つけては、そこに転がり込み一夜を過ごす。そうなると、もうそこが自分の家になってしまい、家に帰るのが嫌になる。別に家にいるのが嫌ではないのだが、何となくいつもいる地点に帰りたくなくなるのだ。

 学生時代、沖縄に毎年行った。石垣島に行くと、都会からそこに遊びに行き、そのままフリーターの生活をしている若者が沢山いた。力仕事のアルバイトをしながら、2~3年はそこで生活をしている。若者の気楽さと同時に、今まで自分がいた所を否定するという意味もあっただろう。その気持ちがよく分かり、私も帰りたくない気持ちが一杯で、自分で困り果てたこともある。つい最近まで、そういうふうな気持ちは続き、トレーラー型のキャンピングカーが欲しくなり、わざわざ東京まで実物を見に行った。但し中型バスの大きさがあり、置く場所もないので残念ながら諦めた。

 さて、次の朝、もうそこには彼の家はなかった。もちろんおじさんの姿もそこにはなかった。夜中に降った雨が路上を濡らしている。果してこの雨の中、彼は風邪など引かなかっただろうかと気になりながら仕事にかかった。

 新宿に我が母校があるので、先日久しぶりに寄ってみた。その近くの都庁の裏側には新宿公園がある。時間がまだ十分にあるので、そこまで足を延ばしてみた。学生時代はカップルばっかりだったが今はその姿もなく、スケボーに熱中している若者の姿ばかりだ。もう少し歩いて行くと良い匂いがしてきた。何かバーベキューをしているような匂いだ。そこに吸い寄せられるように歩いていくと、公園の木々の間に青色のビニールシートが多数見えてきた。もっと近づいていくと、それは段ボールを何個も積み重ね、それにビニールシートがロープで固定されていた。よく見ると、それはホームレスの人達の家だった。そういえば、新宿駅の地下道で最近見かけなくなったと思ったら、こんな場所で野宿していたのだ。その人達が各自テントの中で夕食の準備をしていたのである。

 高層ビルと高層ビルの谷間にあるホームレスたちの小さな家。どちらも人間が寝起きし生活している空間だ。その人達と我々どちらのほうが幸せなのか考えてみたが、私には分からない。多分そこに住んでいる人達にも分からないことなのかもしれない。また、どちらが人生の勝者で、どちらが敗者ということも決まらない。ある意味では、お互い勝者であり敗者でありうるのだ。

 ただ一つ言えることがある。それはそこに生身の人間が今日を必死に生きているという事実だ。その光景を横目で見ながらパーティーの会場へ急いだ。果たして自分が今、幸せなのか心に問いかけながら…。