私は平成2年、初めてのエッセイ集『うぶごえ』を出版し、
その中に『世界一のハッピーエンド』というエッセイを載せた。
それは次のようなエッセイである。
彼女に初めて会ったのは、まだ寒さの残る3月初めであった。
片足を引きずりながら、母親同伴であった。
カルテを書いている顔を上げると、
瞳がキラキラしているまだあどけない少女がそこにいた。
「今日はどういう事でみえたのですか」と尋ねると
「生理が止まったんです」という言葉が返ってきた。
母親がすかさず、「あの…、この子は中学生の時、足の病気で片足切断したんです。
それまでは病気1つしない子だったんですけど、ある日突然足が悪くなって、
大学まで行って手術したんです」。
身を乗り出し「妊娠してたら、産みたいという事ですね」と尋ねると
彼女が初めてうなずいた。
キラキラした優しい目が、急に硬い意志をした表情に変わった。
どうしても生みたい。どうしても自分の子供が欲しい。
命をかけても自分の赤ちゃんを生みたい。
どんな事があっても赤ちゃんを生む。
キラキラする目の中に私に対する回答が書いてあった。
本人が内診台で着替えているすきに母親が私に尋ねた。
「先生、本当に産めるでしょうか。産んで育てる事が出来るのでしょうか。
母親としては不憫で不憫で仕方ないんですよ。
心配で心配で夜も眠れないんです」。
それから妊婦健診が始まった。
お腹が大きくなってくると、中々大変そうであった。
一度は転んで尻もちをついたりもした。
しかし彼女の表情にはいつもキラキラしている瞳があった。
二本足がある私の方が、何か情けなくなるくらい教えられる事が多かった。
児頭の下がりが悪く、力む時に力みにくいという理由で帝王切開となった。
夕方手術は始まった。
手術が始まって数分後、元気な女の赤ちゃんが産声をあげた。
ついに母親になれたんだ。ついに母親にしてあげられたんだ。
という感激、満足が手術場一杯にひろがった。本人もスタッフも泣いている。
長い長い道のりだった。しかし元気な赤ちゃんがついに生まれたのだ。
術後傷も痛かっただろう。歩くのも歩きにくいだろう。
回診する度にそう思った。しかし退院の日までそのそぶりは見せなかった。
親子が退院していく後姿を見送った時、
世界で一番のハッピーエンドの映画を見ているようだった。
そして12年後、それを読んだ1人の少女がその後妊娠し、
当院を受診して出産された。その女性から退院の時に頂いた手紙。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『高校生の生物の授業で、
あるエッセイを読み感想をまとめなさいという時間がありました。
内容は義足の女の子が、ある産婦人科医院にやって来て、
妊娠→出産をするというお話でした。
小さい頃から左足を切断し、義足生活を送ってきた私は、
幼い頃から妙にリアルで
「片足の女の子なんて誰もお嫁さんなんかもらってくれないだろうし、
ましてや赤ちゃんなんて夢のまた夢…」と何故か悟っていました。
だから、高校の授業であのエッセイを読んだとたん、涙がボロボロ流れました。
生物の先生は、私が義足という事を知らなくて、
不適切な事をしてしまった…と謝りに来ましたが、
「そういう意味で泣いたのではなく、自分ももしかしたら、
赤ちゃんを産む日が来るかもしれないという希望の涙です」
と説明した事がありました。
あれから12年。最高のパートナーと出会い、赤ちゃんを授かりました。
当院は家からちょっと遠かったけど、迷うことなく谷口先生のもとに訪れ、
途中色々ありましたが、無事に元気な男の子をこの手に抱く事が出来ました。
足をなくした日から、色々なものを諦めてきた気がします。
でも今、この子を授かり『母親』というすばらしい『称号』を与えてもらいました。
嬉しくて嬉しくて、この子が泣く度、おっぱいをあげる度、
オムツを替える度、恋しくて愛しくて本当に幸せです。
今この幸せがあるのも、妊娠中ずっと診ていただいた谷口先生のお陰です。
本当にありがとうございました。
これからも人に希望を与える素敵なエッセイを書いて下さいね。』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1つのエッセイで1人の女性の人生が変わる。
まさにエッセイスト冥利に尽きる。
これからも人を勇気づけるエッセイを書き続けたい。