台風で倒れたのだろう。清武の“宮崎市清武総合運動公園”に行った際、切り倒された杉の木が横たわっていた。切り倒されたばかりで、切り口には綺麗な年輪が見える。それを数えてみると70ある。きっと70年前に植えられてスクスクと育っていたのに違いない。「70年間も頑張ったねぇ」と声をかけた時ふと気が付いた。70年前といえばちょうど私が生まれた頃である。同じ位の年月をお互いに過ごしてきたのだ。そう考えると何か他人事とは思えなくなった。人生100年時代と言われて久しい。そう考えると70年という年月は登山でいうと7合目ということになる。

 70年の間に何が起こっていたのか?『戦後50年』という本があったので、そのページを捲ってみた。すると色々な懐かしい出来事があったことを知った。

 私が生まれたのは1949年(昭和24年)10月26日である。生まれた時の記憶は勿論全くない。実際記憶として頭に残っているのは、4,5歳の時位の

頃からだろう。しかしそれは身の回りのことだけで、世の中のことを知るのは中学生になってからだ。1962年(昭和37年)当時中学時代、同級生の家へ学校帰りに入り浸りになった。というのもその家にはたくさんの漫画本があり自由に読むことが出来たからだ。色々な漫画があった中で圧倒的に面白かったのは“おそ松くん”という漫画だ。5つ子達が色々な騒動を起こすという漫画である。その中に“イヤミ”という中年男がいて、何かある度に「シェー」と驚きながら飛び上がる。これが当時大流行りで、何か起こると皆でシェー!のポーズをするのである。だから当時の写真を見ると、皆がポーズを撮る度に必ずシェーのポーズをしている。

 1964年(昭和39年)東京オリンピックが開かれた。授業の合間にオリンピック放送を白黒TVで観た。まさかその2カ月後に東京に転校するということも知らないで。だから中学の同級生との最後の想い出となった。

 当時父は『LIFE』という英語版の雑誌を取っていた。ある日そのページを捲ると女優マリリンモンローの死が伝えられていた。白い布に包まれた遺体がストレッチャーに乗せられて運んでいかれている写真である。そしてその横に『発見された時は受話器を握り締めたまま死んでいた』と書いてある。ちょうど思春期に入っていた私にとっては衝撃的なニュースだった。

 高校に入り1966年(昭和41年)Beatlesが来日した。高2だった私は同級生がチケットを手に入れ、公演を聴きに行ったと話してくれた。会場に落ちていた髪の毛がBeatlesのものだと同級生は言い張った。皆半信半疑だったが中には信じる者もいた。未だに謎である。

 1967年(昭和42年)ミニスカート姿のツィギ―が来日。ザ・タイガースなどのグループサウンドが大流行。同級生達はそれを見てギターを購入して皆でそれを真似た。私も早速バンドを組み、グループサウンズの歌を皆で歌っていた。

 1969年(昭和44年)ついに月に人間が降り立った。アポロ11号に乗ったアームストロング飛行士は月面に降り立ってこう言った。「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ」。私は癌闘病中の父と一緒にこの画面を食い入るように見た。父が言った「凄いものだ。人間が月面に降り立つなんて…」。その一年後父は亡くなった。67歳であった。

 この木はこのような出来事を私と同じ時期にこの場所でひそかに知っていたのかもしれない。しかし残念ながらこの木は70年という年月で一生を終えてしまった。はたしてこの続きを生きている私はいつまで色々なことを体験していくのだろう。この木のお陰で、私の一生を考えた一時であった。