私は気が向くと、フラフラと夜の街を彷徨い、色々な店に立ち寄るのが好きだ。それも初めて寄る店ばかり。1万円の予算で5軒を回るのを楽しんでいる。「初めての店に入るのは怖くないですか?」という質問をよく受ける。しかし私にとっては新しい店で、新しい人と巡り逢うのが新鮮で楽しみなのだ。
入ってみて凄いと思う店もあれば、この店はどうも?…という店もある。しかしそこで初めての人と会い、色々な話をするのが生き甲斐なのだ。その店を気に入り又行くこともあるのだが、その確率は1割以下である。つまり一期一会を楽しむのである。まるで旅をしてふらりと知らない飲み屋に寄る。そんな気持ちなのである。
話は変わるが、先日TVで鬱病の予防法を色々挙げていた。その中に飲み屋やスナックなどの行きつけを作ることというのがあった。それによると、知った人と話をするというのはストレス解消には一番良いという。話をしながら悩みや相談ごとを打ち明けることによって、ストレスが減るというのだ。
確かにそうだ。私も数軒の行きつけはある。年に数回しか行かないが、そういう店に入ると自分をさらけ出し、何でも話すことが出来、店を出る時に心が軽くなっていることに気付く。
一昔前までは飲み仲間がいて、時々集まって飲む機会も多かったのだが、70歳近くになると、飲み仲間も病に倒れたり、亡くなったり、飲みに行くのが面倒臭くなり、一緒に飲みに行く回数も少なくなっている。今まで一緒に飲みに行っていた友人達も、声掛けに対して反応が鈍くなってきているのだ。だから一人で飲みに行くことが多くなってくる。
そういえば、若い頃はよく先輩がスナックに連れて行ってくれた。そこのスナックの中年のママが色々相談にのってくれていた。それは恋愛の話、仕事の話、生き様など様々だったが、確かに先輩は楽しそうにママと会話を交わしていた。若僧の私は、先輩が鼻の下を長くして楽しそうにしているのを横目に、何が楽しいのだろうとずっと思っていた。
それからそういう店にカラオケが置かれると、ママと客との会話も減り、店に入るとすぐ歌本が出てきて歌合戦が始まった。それからスナックはいわゆるカラオケスナックになってしまい、会話なども殆ど無くなってしまった。人の歌を聴き、手拍子をするだけの店になってしまったのだ。歌を強制されるので、オチオチ飲んでもいられないし、会話をするにはうるさい。一方、ママの方も会話しなくて良いし気を遣う必要がない。しかもリクエストする度に、百円玉がカラオケに吸い込まれ、店は儲かるという図式が出来上がってしまった。つまりスナックが完全にカラオケボックスになってしまったのである。歌だけ歌いたい人は高級な音響設備がセットしてあるカラオケボックスに行き、その為カラオケスナックに行く人がどんどん減り、スナックは衰退を辿っていたのである。
つまりスナックはカラオケで儲かり、カラオケで首を絞められたということになったのである。私もここ数年スナックに行ったことがない。それはやっぱりママとの会話が弾まないからである。
そんな時、ふらりと古めかしい居酒屋スナックに入った。5,6人も座ると一杯になるカウンターだけの店。もう30年近くやっているという。刺身、おでんなどがあり、年配の女性がやっている。カラオケはない。恐る恐るカウンターに座ってみた。おでんが美味しそうだったので幾つか頼んでみた。「うまい!」。ふと昔、安兵衛横丁というのがあったことを思いだした。
そこは長屋形式になっていて、カウンターに4,5人も座ればいっぱいの店ばかりが10軒ほど。オーナーは元クラブに勤めていた人達ばかり。元クラブに勤めていただけあって、実に話が上手い。座った瞬間、まるでお母さんに会ったような気がして、心がほっとした。しかも安く、千円でお釣りがくる。ここで言いたいことを言って帰る。帰ったら胸のモヤモヤもなくなり、ぐっすりと眠れるのである。その店も区画整理ということで壊され、ビルになってしまい昔の面影はない。
今まで、新しい店が出来たら1週間以内にそこを訪ねることを信条にしていた。新しいものに接し、色々そこで学べるかもしれないと思ったからだ。しかし考えを改めよう。年配のママがいて、カラオケが無い古めかしい店も何軒かレパートリーとして持つことにしよう。
年齢と共に飲み方も変わるものだ。「ストレス解消に昔ながらのスナックを!」そう今は叫びたい。