都会の世界に住んでいると、思わぬ何気ない自然の音に感激することがある。例えば突然降り出した雨音。春雷、庭の木々を吹き抜ける風の音、うるさい位の蝉の鳴声など忙しさのほんの一瞬の出来事だが気が付くと耳を澄まし聞いていることもしばしある。
先日子供のもらってきたスズムシが廊下に置きっぱなしにしてあった。夜、家人が寝静まると、その時を待っていたばかりにリーン、リーンとなく。その鳴声はこの世を思えないほどの美しさで惚れぼれする。早速私も欲しくなり、子供に尋ねると、隣のおじいちゃんからもらったという。
早速、次の日子供と一緒にその家を訪ねた。玄関の所には大きな水槽が置いてあり、その中には何十匹というスズムシがいる。それを頂いて、袋に移し替え持って帰ることにした。袋の中でピヨンピヨンと跳ねている様子が手のひらに伝わる。
近くのスーパーで虫篭と餌と土と板切れを買い求めた。二つのカゴの中にそれぞれ割りばしにキュウリを刺し、霧吹きで湿らせるとスズムシを放した。さてこれであとは夜を待つばかりである。
夜になり一匹がリーン、リーンと鳴くとそれにつられ続々と鳴き始める。自然の音シリーズのCDやテープで聞くのと全然違い、スズムシのライブなのでその臨場感に圧倒されてしまった。
スズムシの鳴声を楽しむ習慣は昔から日本にあった。平安時代に貴族たちが虫篭に入れ楽しんだのが始まりと言われている。江戸時代になり元禄年間に東京神田で八百屋をやっていた忠蔵という人が、スズムシの飼育に成功。それからスズムシは江戸の夏の風物詩となった。それ以来日本国民にスズムシは最も親しみのある鳴声の王様となった。
虫を飼うということは私にとって初めての経験だったので学習大図鑑などで調べてみた。すると毎日水分を補給すること。餌にカビが生えないように毎日変えること。沢山入れると共食いするので数匹で飼うことなどが書いてある。
毎晩寝静まると、スズムシの虫篭を覗いた。大きな羽を広げ、まるでオーケストラのコンダクターのような面構えで、リーン、リーンと鳴く。その姿は青春を謳歌している若者のように見えるし、オノオノ方この声をよく聴けと歌い続けるオペラ王にも見える。
ある日鳴声が聴こえないので中を覗いてみると弱弱しいスズムシ1匹。その横には羽と足が無造作に落ちていた。土の中を見ると細長い卵が無数に産み付けられている。初秋を謳歌したスズムシ達も、次の世代へのバトンタッチを始めていたのだ。カマキリと同じように最後は仲間を食べ、最後力を振り絞って卵を産む。そして次の世代に必死でバトンタッチしていくのだ。
数週間であったが、スズムシの一生を目の前で見ることが出来た。このようなスズムシの一生を見ていると、いかに我々は自然破壊などを行い、今の生活さえよければいいという考えに流されて生きているのだろうとつくづく思う。
今や、人類は確実に世紀末へ突っ走ろうとしていることに気づいた。