平成30年10月29日の読売新聞と朝日新聞に宝島社から全面広告が掲載された。それは度肝を抜く演出だった。樹木希林という人は一体どんな人だったのだろうという事をぴたりと言い当てていた。それはこのような文である。(一部略)
平成30年10月29日 朝日新聞
絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。/だいたい他人さまから良く思われても、他人様はなにもしてくれない/迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら。/人間をやるために生きているんです。/自分は社会で何ができるか、と適性をさぐる謙虚さが、女性を綺麗にしていくと思います。/楽しむのではなくて、面白がることよ。中に入って面白がるの。面白がらかきゃやってけないもの、この世の中。/病を悪、健康を善をするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ。/死に向けて行う作業は、おわびですね。謝っちゃったら、すっきりするしね。/“言わなくてもいいこと”は、ないと思う。やっぱり言ったほうがいいのよ。/このように服を着た樹木希林は死ねばそれで終わりですが、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない。
あとは、じぶんで考えてよ。
平成30年10月29日 読売新聞
靴下でもシャツでも、最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるんじゃないかしら。そういう意味で、がんになって死ぬのがいちばんの幸せなのよ。用意ができる。片付けして、その準備ができるのは最高だと思うの。/ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう?そうやって考えると、がんは面白いのよ。/日本には「水に流す」という言葉があるげど、「水に流す」という考えかたを、もう一度日本人は見直すべきなんじゃないかしら。/それでは、みなさん、わたしは水に流されていなくなります。今まで、好きにさせてくれてありがとう。樹木希林、おしまい。
サヨナラ、地球さん。
彼女は1943年(昭和18年)東京で生まれた。1974年のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』で老けメイクを施し話題となった。2003年に左目を網膜剥離の為失明。その後2005年乳癌が判明し乳房切除。2013年には全身癌でいることを公表し、まさに満身創痍という身であることを明かしたのである。
だがその割には元気に生活していた為、回りは癌患者とは気付かない位であったが、今年に入り急に病が進行していった。ひょうひょうとした中にも癌と闘っていた樹木希林がいたのだ。
しかしそれを苦しいとか悲しいとか感じてはいなかったのかもしれない。まさに癌と闘っていたというよりも、癌とじゃれ合って仲良く付き合っていたような気すらする。亡くなられたことは残念だが、我々に生きるとは何か、死ぬということは何かを教えてくれた一生だと思う。樹木希林に合掌!